都心部の高級賃貸マンション、その多くは「外人」が利用していたのだが、その価格が半値ちかくにまで下がっているという。
六本木ヒルズの「外資系」オフィスも、実質ガラ空きという話もある。
「風評」とは、流言蜚語ではない。
株価同様、市場原理のひとつである。
そのかぎりにおいて、風評はモノの価値あるいはそれがおかれた実態を正しく指し示す。
「岡目八目」ということは常にある。
天津や大同あたりで原発事故が起きたら、北京在留の日本人の多くはさっさと引き上げるか、上海に拠点を移しただろう。
危機は、傍目にこそ明白に、あるいは的確に映るのである。
日本人の多くは、職場や学校の関係上、そう容易くは動けない。
だから、「現状」に合わせるように、希望的に、将来を「観望」するのだ。
そうして、多くの日本人の、とりわけ働き盛りの男性が口にするのは、表題のような「そのときは そのとき」という科白である。
しかし、「そのとき」どうするというのだろう。
多分何も出来ない。
自分の頭で考えることを放棄した人間に、自分の次なる行為を選択する余地はないからだ。
政府や行政、消防や警察の勧告や指示に従って、黙々と行動するしかないのだ。
それすら機能しなくなったときは、パニックに陥って、やみくもに遠くに移動しようとするだろうか。
ここに2冊の本がある。
佐々木孝著『原発禍を生きる』(論創社、2011年8月20日刊)。
鐸木能光(たくきよしみつ)著『裸のフクシマ』(講談社、2011年10月15日刊)。


世代は異なるものの(前者は1939年生まれのスペイン思想史家。一方は1955年生まれの作家)、著者はともに上智大学出身。
そうして、ともに「東京」のために引き起こされた、史上最悪の人災下に今なお住み続けている人々のひとりである。
その「地域」からの言葉は鮮やかであり、重く、飄逸ですらある。
とりわけ佐々木氏の著書の65ページに記載された、以下のような「実話」は、人間の究極の「尊厳」というものを示しているように思う。
珠玉の一節である。
「時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。その後あのおばあさんはどうなったかは知らない。しかし毅然とした彼女の態度が、胸に深く刻まれたままである。
確かにあのとき、家の中には病人のおじいちゃんがいたのではなかったか。「私は自分の意思でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどな!」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。」
そうしてこの場合、「国家」とは「地域」に、「迷惑施設」を強制した挙句、文字通り未曾有の災害を引き起こし、人を「根こぎ」に追い立ててなお平然を装う下手人本人にほかならないのだ。
われわれ一人ひとりが、圧倒的な物理力と強制力をもつ「国家」を相手に、なお尊厳を失わないとすれば、それはどのようなことなのか、われわれがどのような時代に生きているのか、この文章は指し示しているように思われる。
数年以上前から、9月も半ばを過ぎるときまって体調がくずれ、咽喉の痛みと微熱に悩まされてきた。
けれども今年は少し様相が異なる。
3月半ばから鼻の奥に異物感があって、オカしいと思っていたら咽喉に来て、9月には咳となった。
今、朝夕がつらい。
喘息とはこういうことを言うのか、と思わされる。
ちょっとの寒さがひびくので、外出には毛糸のキャップとマスク、マフラーが必需品となった。
いろいろ探して、ネットで肩蒲団なるものを見つけた。
不格好だが、家では昼間も着けている。
手首、足首も何か巻くものが欲しい。
医者に行ったらレントゲンを撮られて、専門医に紹介されたが、専門医もとくに異常は見出せないという。
アレルギーの薬を処方された。
しかし、薬は一向に効かず、現実に、とりわけ朝夕は苦しい。
あきらかに体の免疫力が低下している。
内外の被曝の影響は、個人によって千差万別である。
東電原発立地エリアでなくとも、東日本に住まいしている以上、何人もその発症の可能性について、一笑に付すことはできない。
還暦も過ぎたほどの人間は、多少の被曝は仕様がない、問題は子どもたちだ、というのは「正論」である。
しかし、「被曝する」ということは、身体的にも精神的にも「苦しむ」ことにほかならない、というのは、この喘息でよくわかった。
だから、むしろ「正論」は、何人といえども、できるだけ被曝を避けるに越したことはない、ということになる。
災厄咽喉元を過ぎ、「冷温停止」などという言葉になんとなく日常に返ってしまった「東京」だが、「最悪の事態」の可能性はまったくそのままである。
「保安院」も、最近こっそりシミュレート発表した「4号機の倒壊」の可能性である。
使用済核燃料1535本が、原子炉建屋の5階にプールの水に浸けられて、四六時中熱交換器で「冷却」されているけれど、この建屋自体が傾いている。
いま、世界中の「専門家」がもっとも注視しているのはこの4号機で、なんらかの「事象」が発生すれば、首都圏などひとたまりもない。
日本の大本営は「勝利」や「神風」、「転進」などという幻影をふりまいた挙句、都市部の徹底空爆・原爆攻撃をゆるし、最後には降伏するほかなかった。
今回もまた同じく、危機がまったく過ぎ去ってはいないのに、「復興」幻想をふりまきつつある。
現実に存在する危機の可能性を「杞憂」とは言わない。
それを無視したり、軽視したりするのでなく、正面から受けとめ、説明し、対処するのが「おとな」だろう。
聞きたくない、見たくない「現実」に耳目を逸らさないのも「おとな」だろう。
「日本人」は、子どもばかりか?
東京の東北端、埼玉県三郷市と千葉県松戸市に境を接する水元公園は、江戸時代の小合溜井(こあいだめ)という灌漑用の遊水池をひきついだもの。
けれどもそもそもは、古利根川の旧流路の蛇行跡。
だから、雨量次第では昔の河川が復活する。
64年前のカスリーン台風時における、桜堤決壊はその一例。
この一帯には明治以降も、アシやガマ、マコモが繁茂し、季節がくればアサザの黄色い小さな花が咲いた。
ヨシキリも行々子(ギョギョシ)と鳴き、澪筋(みおすじ)を和船が通る、水郷風景がつづいていた。
行々子どこが葛西の行留り(一茶)。
戦前の水元緑地は170ヘクタールはあったのだが、昭和40年に開園したこの公園の面積はその半分ほどになっていた。
それでも23区中最大の面積をほこる。
そこに行くには、金町駅北口から京成バスを利用する。
水元公園の西の一画。対岸は三郷市
しかし、この満々と湛えられた水も、現在は電気仕掛けである。
西につながっていた大場川から、ポンプアップした水を循環させて、水質を維持しているという。
電気が来なくなれば、ヘドロの水溜りと化す。
広尾の有栖川記念公園の池も、吉祥寺の井の頭公園の池も、都内ほとんどの公園の池は同然である。
自然の湧水池といえるようなものは、明治神宮の清正井くらいだろう。
なんといっても、あの周域は人工のサンクチュアリ森林に涵養されているから。
水のある風景まで、電気仕掛けにしてしまった「近代」は、いま末期(まつご)の姿をあらわしつつある。
以下は公園内の数値だが、実はそこに向かう途中、水元公園入口バス停付近側溝口では0.52μSV、水元中学校正門前の植込み表土は0.55μSv。
5ヶ月ほど過ぎてなお、きわめて高い数値が計測された(いずれも2011年8月4日午後)。
2011年8月4日午後、水元公園の刈草の上の数値
空中線量はそれほど高くない。やはり3月時点での降下放射性物質の遺留が影響している
「近代」は、都市域を肥大化させ、「卑湿の地」を剥奪し、あらゆるものを電気仕掛にして止まない。
その挙句が、かくなる結果をもたらした。
「除染」の究極は、都市そのものを地下化したり宇宙船化することになるが、それは結局不可能である。
「地域」にとっては、「近代」そのものが、巨大な災害の時代にほかならないのである。
脱原発ではない。
脱(巨大)電力、脱(巨大)流通・移動こそが、今世紀の人類の着地点である。
国際放送Russia today映像報道。
福島で放射性物質計測中のグリーンピース。
「チェルノブイリの3-4倍のとんでもない量の汚染だが日本政府は市民を避難させない。ソ連でさえした。まるで別の惑星に来たようだ。」
http://t.co/PfFB8Eh
惑星といえば、ピエール・ブール原作の『猿の惑星』はハリウッド映画化されて、それも次々に続編がつくられた。
アタッタのだ。
いまハヤカワ・ノヴェルズで読める翻訳のあとがきによると、原著はPierre Boulle:La planete des singes,Ed. Julliard,1963.となっている。
ブールは1912年アヴィニョン生まれのフランス人。
理学博士であり電気技師でもあって、マレーシアでゴムのプランテーションにかかわり、第二次大戦中は自由フランス軍に加わりインドシナや中国各地を転戦したが、日本軍の捕虜となった。
イギリス軍の援助で脱走、抗戦をつづけ、戦後はパリに戻り文筆を主とした。
1994年死去。
代表作は『猿の惑星』と『戦場にかける橋』である。
その履歴に照らしてみれば、「猿の惑星」という発想のヒントは日本軍の捕囚となった経験であることが了解できる。
猿が馬に乗って、三八式鉄砲をもってやってくる、というわけだ。
チンパンジーも、オランウータンも、ゴリラもいる。
もちろん、会話が成立する理性的なチンパンジーで、最後は脱走を助ける者もいる。
「猿の惑星」の一場面
今回の「事象」に照らして世界的な視座からみれば、原発を多少いじることはできても制御できず、事故に対する認識も欠落し、その対処もできない、猿たちが列島惑星にひしめいている、ということになろう。
ことはそれだけに終らずに、その列島から膨大な量の放射性物質を、空中に、海水に拡散させて、なおつづけているわけだから、現行犯猿なのだ。
よく野放しされているものだ。
この猿の頭目は、通常は官僚と言い慣わされている高級国家公務員ゴリラたちだ。
彼らはほとんど終身ゴリラである。
つまり失職しない。
選挙でまがりなりにも民意を体して浮沈のある政治家たちとは決定的に異なる。
その政治家たちが、専門知と情報、実質権力をもったゴリラを統御することはまず不可能だ。
ゴリラたちは、自分の都合のよいように情報を操作し、隠蔽する術に長(た)けている。
ここにおいて、日本の民主主義とは、変わりばえのしない政治家を低い投票率で選ぶ名目上の民主主義にすぎず、実際は中国などとかわらない、マンダリン(高級国家官僚)統治であることが判明する。
マンダリンが責任を問われることはめったにない。
原発事故の最終的な責任は、実は彼らにあるのに、である。
何度も言うが、カンリョー・ゴリラやトーデン・オランウータンたちは、江戸時代なら即縛に就き、獄門、さらし首である。
責任不在の、この一点において、現代日本の政治システムは決定的に誤っている。
責を問われるべきだ。
ただちに裁判にかけられるべきだ。
7万人が家や農地、仕事を奪われてさまよい、自殺者がつづき、何十万人が命と遺伝子を傷つけられ、次世代以降まで影響をおよぼしつつあるのに、彼らが老後をまっとうすることなど、あってはならないのだ。
不正義どころか、犯罪である。
犯罪が放置されるとすれば、放置した者の責も免れない。
そうして、政治システムにおいて、この列島に「民主主義」が存在するとすれば、結局はすべてを握る高級国家公務員が、選挙の洗礼をうけ、失職させられるシステムが確立し、ゴリラやオランウータンを一掃してからの話なのである。
日本列島の放射性物質汚染に乗じて、悪質な「除染企画」が蠢動している。
たとえば線量の高い、葛飾区の「都立水元公園」。
広大な水と緑にめぐまれたこの場所から、除染名目で草木を一掃し、コンクリートとアスファルト、人工芝の「運動公園」化してしまうとしたら、屋上屋を重ねる愚行というものだろう。
まずは局地的気候変動がおこる。
熱帯夜と集中豪雨が倍加する。
そうして、クーラーの稼働時間が延長され、その排熱もますます耐えられないものになる。
23区中最大規模の面積をほこる「水元公園」の入口付近
7月23日放映「NHKスペシャル 飯舘村 田中俊一の発言」。
浜岡原発は安全と発言した田中某(元原子力学会会長、元原子力安全委員会会長代行)が飯舘村の区長宅を訪れて、「除染のために木を伐って、谷ひとつくらい潰して汚染廃棄物処理場にしないと、村人は家に帰れませんよ、ヘッヘッヘ」というわけだから、醜怪(グロ)極まる。
ジャン・ジオノの「木を植えた男」という話は映画にもなったが、この男はその真逆で、放射能で汚染した挙句、村を丸裸にし、汚物を押しつけるわけだ。
そもそもどうして土下座謝罪し、汚染物はすべて自分のところで引受けますと言えないのだ。
村人も、どうして「下手人が何しに来た、とっとと帰らないとぶち殺すぞ」と言わないのだ。
現代日本は「倫理」も「正義」もなく、「居直り説教強盗」が横行する無法列島にすぎないことを、まざまざと示した場面だった。
江戸時代であれば、この男、ナントカ学会の一族郎党含めて、とうの昔に獄門さらし首になっていた。
すくなくとも、きょう日娑婆でちょろちょろできる分際ではない。
基本的な環境が「森林」である日本列島が、もっとも美しくまた緑豊かな土地から、その保水力を奪い、土壌を流出、壊死させ、溢水を誘発する禿げ山と汚染谷の出現に与(くみ)するとすれば、その中心に原発の推進者とその金にぶら下がる愚者たちの行いがあるだろう。
村が村であるためには、すなわち土壌流出と砂漠化を防ぐ手段は、可能なかぎり詳細な「汚染マップ」にもとづいた、村人自身の計画と実行による、きめ細かな除染と立入制限区域設定以外に方法はない。
「外部」の厖大な金(カネ)をアテにすることは、結局新たな「原発依存」にすぎないのだ。
地つづきなんだし、風つづきなんだし、不安ながらも基本的には遠い僻地のことのように思っているけれど、実は東京もしっかり放射性物質に汚染されている。
昨日、葛飾区東金町(ひがしかなまち)七丁目の、カスリーン台風による「桜堤」の決壊場所を見に行ったのだけれど、ひょいと線量計のスイッチをオンにしたら、すぐに警告音(アラーム)が鳴りだした。
30μSv/h以上で、自動的に鳴るように設定されている。ご覧のように地表はかなり高い。
昭和22年、カスリーン台風時の決壊場所に立つ説明板。向こう側は江戸川の土手。説明板の下に縁量計
スイッチをオンすると、アラームが鳴りだすこの線量。1.5mの空中線量は0.28μSV
たしかにここは都内でも汚染濃度の高いことで知られる「水元公園」のすぐそば。
けれども、問題は水元公園とその周辺だけではない。
金町まで帰る途中にあった小さな児童公園(東金町五丁目児童遊園)の、すべり台の着地点。



行政はなんの手もほどこさずに、そのままにしていて、利用者もいつもと変らず、子どもを遊ばせているようだ。
とりあえず、ここにその記録を残しておく(いずれも2011年7月28日午後計測)。
ついでに言えば、文京区の根津二丁目児童遊園内でも、地点によってはもっと高い線量値を検出(2011年6月28日午後、地表で0.57μSv)しましたから、東京の端っこの話だろうと安心しているわけにはいかないのです。
都は新宿の計測値だけ発表して、低いの、基準値以下だのと済ましているようだが、ご覧のように、フクシマなみの高濃度汚染地域(ホットスポット)が実在する。
金町浄水場の水道水の放射性物質検出値も、6月一杯「不検出」と発表しているけれど、国や都道府県の「大本営主義」(嘘と隠蔽)がはっきりしている以上、どこをどう計測して「不検出」なのか、疑ってかかるのは「庶民の知恵」というもの。
これを別の言葉で言えば、「風評」という名の「市場原理」なのだ。
最近、東京税関が、飲料水の輸入量が「過去最大」となったと発表したのは当然のこと。
東京が「中央」の顔をしていつまでも平然としていたら、結果は惨いものになるだろう。
東京も、ひとつの地域、地方にすぎないのだ。
天災だろうと人災だろうと、現場を歩き、しらべつくして発表し、必要な措置をとることは、税を徴収し、それで成立している行政体(国、都道府県、市区町村)の義務だろう。
それをやらないのは、顔も心も、住民の側ではなく、「上司」を向いているからだとしたら、一党独裁のどこかの国と変らない。
それでもやらないなら、誰かが記録し、それを遺していくしかない。
遺すといえば、一人ひとりが髪の毛を数センチ、20本ほど切って、とっておくべきという提言がある。
自分がどれだけ汚染されたか、重要な証拠になるはずと。
いま、ネットで大変話題になっている、2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会における「放射線の健康への影響」参考人説明(児玉龍彦 東京大学先端科学技術研究センター教授,東京大学アイソトープ総合センター長。この参考人説明を、NHKは放映しなかった)のサイトを、私も念のため下に掲げる。http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo
東大には、アイソトープは飲んでも大丈夫と言ったデタラメきわまりない「教授」もいれば、このようなまっとうな教授もいたのだ。
児玉教授が怒りをもってまず明らかにした、「チェルノブイリ事故と同様、原爆数十個分に相当する量と、原爆汚染よりもずっと大量の残存物を放出した」は、「産経ニュース」の悪質な風評拡散である、「1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし 東京の放射性物質降下量」(2011.4.28)を完全に吹き飛ばした。
1月以上の御無沙汰。
この間、腰の痛みが左から右へ転移。
これもradiationの影響か?
村では、復興と絆を祈念して、例年この時期に行われる、草野心平をしのぶ「天山まつり」を、特例のようなかたちでやるという。
23日の土曜日。
モリアオガエルの縁、蛙の詩人草野心平以来東京者が接待を受ける「祭り」のようで、いつもはあまり気のりしないのだけれど、今回は特別だから押して1泊で出掛けた。
2011年5月12日の東京新聞から。「緊急避難準備区域」内であっても、川内村の過半は「クールスポット」であることがわかる
川内村は、フクシマ第一原発から30キロ圏内(一部20キロ圏内)にあって、自主的に「全村避難」した。
避難者の「一時帰宅」第一陣報道で知られることになった村だが、実は放射性物質汚染は周辺の市町村に較べてエアーポケットのように低い。
蝉時雨につつまれるから蝉鳴寮(セミナリオ)
キキョウの花は毎年咲く。花の中に、時々クサグモが陣取っている。時に0.36まで上がる。
もちろん場所によってかなりの程度差があるが、村の旧はやま保育所を改装したウチ(別荘兼倉庫。蝉鳴寮:セミナリオと命名)は、写真にもあるように、概ね0.31マイクロシーベルト/時。
2011年7月24日午後2時前後、福島県双葉郡川内村上川内の、地上約1.5mの数値である。
この程度なら都内のホットスポットと大差ない。
とはいっても、一般人の年間許容量1ミリシーベルトとすると、内部被曝を考慮しないでもその2倍半はカブることになる。
0.30を超えると警告音(アラーム)が鳴るので、やたらうるさい。
しかし、村の他の地域、西側の山腹などでは、その倍以上の数値となっているようだ。
全体としては奇跡的な低汚染地域であるからこそ、可能な限り詳細な汚染マップが切実に待たれるのだ。
下の写真のように、同一敷地でも、微細な条件によって汚染度に濃淡がでる。
南に面した軒下の、雨落ち部分はとくに線量が高い
放射性物質は、苔が吸収する、というか苔によく溜る。写真はいずれも、2011年7月24日午後2時頃。
安全なはずの東京電力の原発が、東北電力管内の福島に次々と建設され、その事故の結果、福島県の一画にいま無人の放射性物質汚染エリアがひろがっている様は、首都あるいは中央が、地方を犠牲として成り立つ、現代社会のありようを象徴している。
社会学では、迷惑施設の地方配置のことを、いわゆるNIMBY (Not in my backyard)と言うようだが、日本において、ことは別様の根深い構造がある。
以前にも指摘したことだが、日本の近代社会は学歴を基本とした階層構造をなしている。
この場合、階層は階級と呼び変えてもかまわない。
日本は学歴階級社会であると。
その頂点はどこにあるかというと、「空間」的には東京であり、もっと狭く限定すれば、23区のなかでも千代田区と港区に特化される。
この2区については、先の「計画停電」にも計画外の特別エリアであったことは記憶に新しい。
ところで、「学歴」の最終着地点がどこにあるかといえば、もちろん上級国家公務員である。
そこに至る学歴階級社会のステップ、すなわち「時間」を、象徴的に取出してみれば、階級頂部に属す子弟が多く通う、千代田区立番町小学校、あるいは同麹町小学校、港区立南青小学校、そして同白金小学校などのうち、とりわけ番町小学校からスタートして、麹町中学校から日比谷高校、そして東京大学にたどりつくお定まりのコースとなる。
このルートは、学歴階級社会のもっとも知られた階梯だが、同様のアップステアー構造は、それぞれの地方において、なぞったように存在し、端末を東京大学に繋いでいる。
彼らは東京に「上り」、功成れば「中央部」に住まう。
列島外に目をやれば、東京大学のランクはいまや香港大学よりもだいぶ格下なのだが、なんといっても日本は島国であり、「日本語という壁」の内側では威光が効く。
そうして実は、この東京大学を頂点とした、「明治維新」以来140年ほどつづいた日本の近代階級社会が、フクシマの事故を契機に、自らほころびはじめているのである。
なぜならば、現在進行している事態は、ヒエラルキーの拠って立つ基盤としての「地方」とその「住民」の切り棄てであり、挙句の果ての、「中央」すなわちエリアとしての東京自体が、放射性物質で汚染されつつあることによるのだが、それと同時にこの学歴階級社会が、とどのつまりその頂部維持機能しかもちあわせていないことが露呈してきたためである。
今回の原発事故汚染の特徴として指摘される、半減期30年のセシウム137の多さは、新陳代謝のいちじるしい、子どもたちの身体の、とりわけ神経系つまり頭脳の発達に影響をおよぼすとみられる。
放射性物質汚染のダイレクトな情報が「ただちに」入手できるのは、上級国家公務員とその周辺の一部である。
だから、たとえば番町小学校などにおける微細(マクロ)な「人口移動」は、「状況」の深刻度を反映することになる。
学歴階級社会が、空間としての「中央」、時間としての「現在」、実在としての「頂部とその家族」しか保存し得ないこと、つまり「空間」としての「中央」が汚染にさらされるなかで、情報を積極的に公開せず、自らの「家族」を先に「疎開」させつつあることがあきらかになれば、「学歴階級」そのものが、国家という「公共性」のなかで存在根拠を失い、崩壊していくしかない。
ベアテ・ゴードンさんは、1923年10月のお生まれだから、今年88歳。
女性の年齢を言うのは失礼にあたるが、近年は来日のニュースを耳にしないけれども、まだ矍鑠(かくしゃく)として、ニューヨークの自宅にお住まいだろう。
現在の「日本国憲法」制定作業に携わり、そのプロセスを証言する、今日では唯一の「生存者」となった。
父親は、山田耕筰に請われ東京音楽学校教授となった著名ピアニスト、レオ・シロタ氏で、ベアテさんの少女時代、一家の住まいは赤坂の乃木邸近くにあった。
だから彼女は、戦前の日本女性の、美徳も、家財道具にも等しい無権利状態も、つぶさに目にし、耳にして育った。
アメリカの大学に進み、戦争が終わるまで、日本の両親のもとに帰ることはできなかった。
厳寒の軽井沢に隔離され、やせ細った両親と抱き合った日は、1945年のクリスマスだった。
占領軍の軍属として来日した彼女は、ケーディス大佐の下でGHQの日本国憲法制定作業を担い、とりわけ第24条(「男女平等」条項)の実現に力をつくしたことで知られる。
「日本国憲法」をめぐる、あれこれの論議にはいま触れない。
しかし、憲法問題調査委員会委員長松本烝治国務大臣の案を基本とする日本政府側の「憲法改正要綱」(「大日本帝国憲法」の改正案)がGHQによって一蹴され、「マッカーサー草案」を元とした「日本国憲法」が実現したことは事実である。
日本の政治家たちは、敗戦を機にしてなお、新たな国家イメージを形成することがなかった。
旧憲法の一部手直し、可能な限りの現状維持、そして既得権維持をはかることが、目の前の最大課題になっていたからである。
もちろん「政治」は、男どもの専管領域だった。
今回の、人類の歴史に類をみない、巨大な原発事故は、第二の敗戦である。
「スリーマイル島事故の、レベル5」から、「チェルノブイリなみのレベル7」に引き上げられ、しかしその放出された放射性物質の量は「レベル7」を超える。
歴史は繰り返す、というより、日本は、日本人自身は、あの敗戦からさえ何も学んでおらず、何も変わっていなかったのだ。
パニック回避という名目の情報統制、そして後出し、日本国内でしか通用しない「暫定基準」の引上げ、といった、ご都合主義優先の陋劣きわまりない「大本営発表」は、われわれの眼前で、政権交代した「民主」党政権のもとで、いまなお腐心中である。
「発送分離」などという首相発言にもかかわらず、政府の「新成長戦略実現会議」は「原子力を最重要戦略」と位置づける。
東京、福井、青森の選挙では、それぞれ原発推進派の知事が再選された。
これだけの「敗戦」にもかかわらず、「島内空間」においては学習能力ゼロであり、ために自分の力で自らの未来をきりひらくことができないのだ。
自然災害の集中する弧状列島にあって、膨大な量の放射性物質を漏出し、拡散させている日本政府は、すでに国際的には科人(とがにん)であり、日本の原発は重要な監視対象である。
このままでいけば「日本の政治」は、「世界の孤児」となった挙句、国際管理という名の「第二の占領」が必要となるだろう。
「黒船」と「占領」は、「外圧」なしでは変ることのできない「列島政治」の象徴であった。
日本近代政治史専攻の東京大学先端科学技術研究センター教授御厨貴氏は、東日本大震災復興構想会議議長代理などという、あやふやな仕事は即座に断るべきだった。
彼の本領は、この稚にして惨な「日本の政治」の病弊そのものの解析に向けられるべきたっだのである。
スマートフォンを利用するようになって、電車のなかで青空文庫を利用できるのは大変にありがたい。
ウィキペディアもそうだが、青空文庫も、利用者にとってははかりしれない貴重な公共財産である。
しかしながら、パソコンで利用していたときからの最大の不満は、「底本」を明記しているにもかかわらず、というかその故か、当該作品の成立年代情報、たとえば初出の掲載誌の情報などはほとんど参照できないことだ。
それを知りたければ、「底本」にあたれ、ということなのだろうが、利用者は図書館などに出掛けて行って「ブツ」としての「底本」を手にしなければならず、情報の「あと一歩」がないために、結局は不完全なデジタル公共財にとどまっている。
これは、まことに残念な、しかし明らかな欠陥である。
さて、では実際に、公共図書館でその「底本」にあたるとして、例えばそれが「全集」だった場合、公共図書館のOPACでは、通常どの巻に収載されているかがわからないのだ。
つまり、例えば『斎藤茂吉全集』は第1巻から第56巻まであるが、各巻ごとの収録作品明細が目録化されている図書館は、国立国会図書館などごく少数である。
また、個人全集ではなく、アンソロジーとしての「文学全集」などの場合も、収録作家名はあるけれども、作品名の明細はないのが普通だ。
これでは、検索の「目録」たりえない。
だから、「全集」で当該作品にあたり、その年譜や解説を参照したい場合は、書庫から全巻出してもらって、片端から見ていくしかない。
図書館によっては、一回の閲覧冊数が3冊や5冊などと決まっていることがあるから、そうなると厄介さが幾倍にもなる。
まあ、こういうことも、いずれは全ページがデジタル化され、ネットでそれを検索閲覧できることになるのだろうから、過渡的不満といえばそれまでだが、各図書館で、そのような「中途半端」な目録が、それぞれの予算でつくられていくつも存在しているとすれば、ばかばかしい思いが先にたつ。
肝心の点が欠落して、中途半端な情報が溢れる、というのは、ナントカ「学会」でも同様だが、現在のネット情報のありようを象徴しているようだ。