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水元公園

東京の東北端、埼玉県三郷市と千葉県松戸市に境を接する水元公園は、江戸時代の小合溜井(こあいだめ)という灌漑用の遊水池をひきついだもの。
けれどもそもそもは、古利根川の旧流路の蛇行跡。
だから、雨量次第では昔の河川が復活する。
64年前のカスリーン台風時における、桜堤決壊はその一例。

この一帯には明治以降も、アシやガマ、マコモが繁茂し、季節がくればアサザの黄色い小さな花が咲いた。
ヨシキリも行々子(ギョギョシ)と鳴き、澪筋(みおすじ)を和船が通る、水郷風景がつづいていた。
行々子どこが葛西の行留り(一茶)。

戦前の水元緑地は170ヘクタールはあったのだが、昭和40年に開園したこの公園の面積はその半分ほどになっていた。
それでも23区中最大の面積をほこる。
そこに行くには、金町駅北口から京成バスを利用する。

水元公園の西の一画。対岸は三郷市
水元公園の西の一画。対岸は三郷市

しかし、この満々と湛えられた水も、現在は電気仕掛けである。
西につながっていた大場川から、ポンプアップした水を循環させて、水質を維持しているという。
電気が来なくなれば、ヘドロの水溜りと化す。
広尾の有栖川記念公園の池も、吉祥寺の井の頭公園の池も、都内ほとんどの公園の池は同然である。

自然の湧水池といえるようなものは、明治神宮の清正井くらいだろう。
なんといっても、あの周域は人工のサンクチュアリ森林に涵養されているから。

水のある風景まで、電気仕掛けにしてしまった「近代」は、いま末期(まつご)の姿をあらわしつつある。

以下は公園内の数値だが、実はそこに向かう途中、水元公園入口バス停付近側溝口では0.52μSV、水元中学校正門前の植込み表土は0.55μSv。
5ヶ月ほど過ぎてなお、きわめて高い数値が計測された(いずれも2011年8月4日午後)。

2011年8月4日午後、水元公園の刈草の上の数値
2011年8月4日午後、水元公園の刈草の上の数値
空中線量はそれほど高くない。やはり3月時点での降下放射性物質の遺留が影響している
空中線量はそれほど高くない。やはり3月時点での降下放射性物質の遺留が影響している

「近代」は、都市域を肥大化させ、「卑湿の地」を剥奪し、あらゆるものを電気仕掛にして止まない。
その挙句が、かくなる結果をもたらした。

「除染」の究極は、都市そのものを地下化したり宇宙船化することになるが、それは結局不可能である。
「地域」にとっては、「近代」そのものが、巨大な災害の時代にほかならないのである。

脱原発ではない。
脱(巨大)電力、脱(巨大)流通・移動こそが、今世紀の人類の着地点である。

One Response to “水元公園”

  1. ujit-父on 10 8月 2011 at 1:14:18

    データ公表せず住民に危機 米紙「省庁の責任逃れ」
    http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011080901000721.html

    以下はほんとうにそうなのかはわたしには判断できませんが 紹介まで……
    2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
    http://news.livedoor.com/lite/article_detail/5763592/

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