『佐山則夫hobo全詩』
-2028年春刊行予定-

詩の底無沼に花開いた
稀代ノンセンス小劇場

言葉の信管が点滅する
奇想天外異空間の列陳

「抒情に故意に背を向けた、卓抜なアイディア」
「ショート、ショートと呼んでいいエンターテインメント」
(谷川俊太郎氏『國安』評)

半世紀以上に及ぶ隔絶無類の詩業約400篇をご照覧あれ!

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詩人近影(5月14日、仙台市青葉区「星乃珈琲店」にて)

佐山則夫詩集0『首饂飩』(売り物でねえのっ社・自筆出版,2013)
佐山則夫詩集1『イワン・イラザール・イイソレヴィッチ・ガガーリン』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2014,925yen)
佐山則夫詩集2『君かねウマーノフ』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2014,925yen)
佐山則夫詩集3『國安』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2016,2400yen)
佐山則夫詩集4『台所』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2019,2000yen)
佐山則夫詩集5『滿尿集』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2023,1800yen)
佐山則夫詩集6『(タイトル未定)』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2025,?)
佐山則夫詩集7『(タイトル未定)』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2027,?)
『佐山則夫hobo全詩』(売り物でもあるのっ社・之潮刊,2028,?)

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不法な法 ―情けない国

「不法滞在中の外国人が入管施設で長期収容されている問題の解消を図る入管法改正案は9日、衆院本会議で賛成多数で可決され、衆院を通過した」(毎日新聞・ネット、20230509)

この記事はその冒頭から「不法滞在」という言葉を使ったことによって、「問題の所在」を報道する精神をすでに失っている。
日本の主要ジャーナリズムが「お上」の言葉のチェックをせず、「垂れ流し」ている見本のようなものである。

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2017年6月に来日して日本語を学んでいたスリランカの女性ウィシュマ・サンダマリさんは、2020年8月同居スリランカ男性のDVから逃げて交番に駆け込んだが、DVや仕送り問題をかかえて除籍されていたため、在留資格のない「不法滞在」者として即刻名古屋の入管(出入国在留管理庁)に収容された。

入管の収容施設は、収容者に精神的苦痛を与え、諦め絶望させ、屈服させて国外退去させるための拘禁所である。
日本の入管行政の現状は、つまるところ「非・国民」の国外退去と追放に携る、公的なヘイト、排外機関と言える。
そのため出入国管理法は、入管行政のトップすなわち施設管理者(管理局長)にほぼ無制限の権限を認め、その権限はおよそ基本的人権に顧慮するところがない。約半世紀前、法務省入国参事官は(外国人は)「煮て食おうが焼いて食おうが自由」(池上務『法的地位200の質問』1965年、p.167)と漏らした通りで、その認識と処遇は変わるところがない。

そのため2021年1月頃からウィシュマさんの体調が悪化し、翌月外部の病院での診察と点滴等の処置が必要と判断されたにもかかわらず実質放置され、3月6日に死亡した。33歳であった。
しかしその死に関して誰一人として罪責を問われることはなかった。
検察は「因果関係」を認めず、すべて不起訴相当とした。

この事件は日本の入管法と行政の非人道性を世に知らしめる結果となり、それ以前から準備されていたいわゆる入管法「改正」案、すなわち難民認定申請を却下された外国人の本国送還を容易にし、入管当局の権限を強化する出入国管理及び難民認定法改正案は、2021年5月に成立見送りとなり、翌年1月の国会でも再提出は断念された。

しかしながら「増え続ける長期収容」状態に対する解決として入管法改正案は執拗に上程され、今回は形式的な答弁が繰り替えされたのみで、この4月28日衆議院法務委員会において自民・公明、維新・国民の賛成で可決された。

この4党とその党員ならびに議員たちには、現代法治国家の政治を担う責任も資格をないと言わざるを得ない。
それは「手続き」ないし「アリバイ」としての些末な「法律」以前、人類にもっとも普遍的な「法」すなわち正義を弁えることなく、理解しようともしていないからである。
「普遍的な正義」とは、人権すなわちヒトがヒトとして生きる権利である。
そこには国家のちがいも民族の差異も存在しない。

2019年6月24日、長期収容に抗議してハンガーストライキをつづけていたナイジェリア人は入管大村収容所で餓死に至った。
長期収容に対し、仮放免などを求める入管収容者のハンストは拡大している。
それは、死を賭けた抗議である。

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日本の難民認定率はG7のなかでも極端に低い。
それは厄介を引き受けたくない本音のあらわれであり、同時に人権意識の低さのあらわれである。
世界の難民はこれから増えこそすれ、減ることはないだろう。
どの国であろうと、21世紀はそれを引き受ける覚悟なしに、まともな国家たらんとすることはできない。
しかしこの島国の法と政治のもとでは、「共生」も「おもてなし」も「絆」も、虚構ですらないのである。

難民認定を避けんとして、ひとりよがりの「非人道ヘイト政策」をつづければ、情報拡散手段の発達した今日、得られるのは侮蔑と汚名だけである。
「法」や「施設」の非人道放置は、「外国人」だけではなく「国民」にも適応されると言わなければならない。

すでに2020年8月、国連人権理事会恣意的拘禁作業部会は「日本においては難民認定申請者に対して差別的な対応をとることが常態化している」「入管収容は恣意的拘禁にあたり国際法違反である」旨の指摘を行った。
そこで求められたのは、「1.収容の目的を限定し、法律に明記すること、2.収容の期間に上限を設けること、3.収容の開始・継続について司法審査を導入すること、4.ノン・ルフールマン原則(迫害を受けるおそれがある国への追放や送還禁止)を遵守すること」で、また2021年9月21日国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会や同理事会の特別報告者らが「国際人権基準を満たしていない」ため入管法を見直すことを求めた。

しかし、今回衆院を通過した「入管法改正案」はそれらに一切対応することのない「収容長期化の問題は送還の促進で解決」を内容としている。
その端的な表れは「難民申請は2回を限度」とし、それ以降は強制送還を可能としたことである。

この5月7日、「入管法反対杉並デモ」が行われた。
東京都杉並区高円寺駅近くの小さな公園が集会場所であった。
当日は連休の最終日で日曜日であったが土砂降りの大雨。
ほとんど期待していなかったが、公園に入りきれない人々が駅前に溢れていた。
知人の、比較的若い女性が集会スピーチ者のひとりだったことにも驚いた。
隣りの阿佐ヶ谷駅前まで、青梅街道を経由する比較的短いコの字型のデモコースだった。ただ靴の中は水浸し、気温も低く、後期高齢者(に近い)老人にはちょっときつかったが、この雨の中3500人が参加(主催者発表)したと聞いていささかの希望を得たのである。
上掲の写真は、その時の様子と、私が掲げたプラカードである。

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地図学の先達 1987年11月6日

写された面々の苗字を記した紙とともに、およそ35年前の写真が出現した。
地図学のうちでもとくに古い地図にかかわる先達が一堂に会した趣きである。
当然ながら、既に鬼籍に入られた人もすくなくない。
それまでの古地図研究の軌跡が、ある意味では断絶した現在、この写真の語るところもまたすくなくないと思われ、敢えて以下に掲げる。

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前列中央、杖を手にされた南波松太郎(1894-1995)先生はこの時御歳93。東京帝大工学部出身の日本史学者にして日本海事史学会名誉会長。
その古地図コレクション約4000点は、故秋岡武次郎先生のものと並び神戸市立博物館収蔵品の中核をなす。

向かってその左は西川治(1925-2019)先生。東京大学教授、地理学専攻。晩年まで「世界地図博物館」創設の意義を語っておられた。

南波先生右側の颯爽としたお姿は矢守一彦(1927-1992)先生で、大阪大学の教授にしてこの時は同大学図書館長。
ヨーロッパと日本にまたがる都市プランの研究(『都市図の歴史 日本編』『都市図の歴史 世界編』)にはお世話になった。

2列目中央は木下良(1922-2015)先生。神奈川大、富山大、國學院大の教授を歴任。古代交通研究会名誉会長で、故立石友男先生が実質編集にあたった画期的なアトラス『地図で見る東日本の古代』『地図で見る西日本の古代』の古代官道ルートは木下先生のお仕事に基いている。

3列左から2番目は式正英(1927-)先生。東大理学部で地理学を学び、建設省地理調査所を経てお茶の水女子大学教授となられた。
2009年上梓の著書は『風土紀行 地域の特性と地形環境の変化を探る』は之潮刊である。

前列右から2番目は清水靖夫(1934-)先生。法政大学で秋岡武次郎先生に学び、立教高等学校教諭にして法政、国士館両大学の非常勤講師をつとめられた。1980年代、柏書房が倒産の危機を反転することができたのは、清水先生の旧版地図コレクションと助言によるところが大きかった。

3列右から3番目は川村博忠(1935-)先生で、江戸時代までの日本列島の官製基本図である国絵図研究のパイオニアにして第一人者。山口大学の教授から東亜大学に転じ、その名誉教授。川村先生と各地の図書館や博物館で巨大な国絵図や日本図を閲覧し、かつ撮影などの手続きをしてつくりあげた大冊(複数)は柏書房のドル箱であった。

筆者の立場から自ずと「先生」とお呼びするのは以上の方々で、以下は「氏」とすることを許されたい。
最後尾、三角形の頂点に顔を見せているのは山口恵一郎(1921-1991)氏で、文部省から国土地理院を経、日本地図センター調査部参事役として活躍された。地名や地図に関する著作も多い。

そのほか名を挙げコメントすべき方々は多いが、それは追々加筆する予定である。

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人質司法と報道

「官制会見」や「記者クラブ」「ぶら下がり取材」にもとづく日本の主要ジャーナリズムが「社会の木鐸」たりえないのは周知の事実だが、「五輪汚職」に関しても検察発表を垂れ流し、肝心のトップ層についてはスルーしたままである。
報道が検察と一緒になって民の憂さ晴らしを演出し、結果として弱きを挫き強きに阿(おもね)ているのである。

そのなかで昨夕の東京新聞記事は、まっとうな報道として特記に値する。
日本の司法はとくに未決の被疑者の扱いにおいて、およそ「人権」を顧慮するところがない。それは「しょっぴいて吐かせる」江戸時代の制度と地続きで、警察ないし検察の仕立てる筋書きを認め、「改悛の情」を示さないかぎり「出さない」ことを基本としているのである。
これが日本列島における冤罪の最大の温床であることも、また一部には知られた事実である。

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ワグネル先生記念碑

早稲田大学エクステンションセンターにおける2023年度春の私の講座は、昨日で終了した。
テーマは「東京23区の微地形」で、自治省コード番号順に今回は目黒区を扱い、巡見にはその北端と南端をフィールドとした。
具体的には東京大学駒場キャンパスと3つの小谷、および東京工業大学大岡山キャンパスと呑川低地である。
いずれも上位段丘面を基本とするが、好天に恵まれ、また講ずる側としても得るところ多大であった。

写真は東京工業大学大岡山キャンパス大岡山北地区の一画、ひょうたん池(呑川谷、谷底の一部)を足下にする谷壁斜面に建てられた記念碑である。

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残念ながら学生のほとんどは所在を知らず、教師でも多くはないという。
ただし現今日本語片仮名書き「ワグネル」とは、悪名高きロシアの戦争会社名ではある。
以下に碑文を示す。ただし原文は旧字片仮名書き、句読点なし、改行なしで、〇の部分は1字不明である。

ワグネル先生記念碑/勲二等ドクトル・ゴットフリード・ワグネル先生は独逸国の人。明治元年来朝、同二十五年十一月八日東京に没す。享年六十二。其間大学東校、同南校、東京開成学校、文部省製作学校、京都医学校、東京大学等に理化学及応用科学を講じ、東京職工学校に陶器玻璃工科を創設教導し、更に機織科設置を力説して没後に之ヲ実現せしむ。是実に東京工業大学窯業学科、並に紡織学科の濫觴たり。又明治初年鍋島藩に有田焼の改良を図りしを初め、無〇釉陶器旭焼の創製、煉瓦焼成用楕円形輪窯の集造、陶磁器焼成窯の改造、七宝陶磁器、染色写真、鍍金術、セメント、硝子、耐火煉瓦、石鹸、燐寸等各種工業を実地指導し、東洋美術の真髄を工芸に表さんとし、就中七宝には能く本邦の特色を発揮せしむ。曽て墺国維納及米国費府の万国博覧会に参与するや専ら先生の斡旋に倚り出品を調達陳列することを得、以て我国の文物を海外に紹介し、又勧業寮博物館の創設に参画する等、本邦新文化の揺籃時代に於て粉骨砕身、教育及産業の育成開発に尽瘁す。先生其性温和謙譲廉潔寡黙、子弟を撫育すること懇切、屡々私財を授して後進を扶掖す。其徳化普く及び、後年此界の泰斗、社会の重鎮たるもの門下に輩出し、本邦産業の興隆今日あるを致す。寔に先生に負ふ所大なり。茲に有志相謀り偉績を永く後毘に伝へん為、由緒深き東京工業大学庭内に記念碑を建設し、且先生の伝を陶管に記し之を碑蔭の地中に埋蔵し、以て敬慕報恩の意を表し、併せて青年教化の資となさんとす/昭和十二年十一月

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地名「殿ヶ谷戸」について

標記の件に関して、角川文化振興財団発行『武蔵野樹林』のVol.11とvol.12に連続執筆した。
vol.12は先月末のリリースであった。
2回にわたり、地図およびその表記のひとつである地名注記の根源に、いささか触れたつもりである。
以下、vol.12の当該ページ画像を掲げる。

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追悼 齋藤愼爾

花こぼる妖精花を断ちしゆゑ

妖精の花絶ちて逝く花みはて

はなびらをいちまいたうべみまからむ

ひそやかに神保小路花吹雪

はなびらのうづまきはてつわたのはら

(齋藤愼爾氏追悼5句)

齋藤愼爾氏(1939・8・25ー2023・3・28)は最晩年の認知症を自覚し、絶食死を遂げたとみられる。
「博学の妖精」とは瀬戸内寂聴による齋藤愼爾評(『生と死の歳時記』1999年)であった。

上掲追悼5句は齋藤氏の『秋庭歌』(1989年)の末尾

菜の花の径にて一行の詩を断てり
花に座し茫々四十年盲ひたり

の2句を念頭に。

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谷川俊太郎をして「抒情に故意に背を向けた、卓抜なアイディア」「ショート、ショートと呼んでいいエンターテインメント」と言わしめた(2017年2月7日、佐山則夫詩集3『國安』の批評)仙台詩魂の異才・第5弾!

そもそもの始まりは/共通の友人から鉢植えの風の成る木を
送られたことだった/早速庭に植え変えたが無風のある晩/
根こそぎ盗まれた/すると今度は/飛脚便で肉の成る木を
送ってきた/短い手紙が同封されていた・・・(「肉の成る木」から)

ISBN978-4-902695-37-3  C1092
B5変型上製 183ページ
本体1800円+税 限定150部

目次
尿散らすなちょい洩れ編
聖アブラナ侯/今宵は満月 満月じゃからして/サンダル先生夏期特別集中講座/
パパが流れてゆく/前進さもなくば前進/肉の成る木/墨 使/救世主様/葱/
で 薬は服用んだのか?/おじい/有蓋貨車における牛糞と馬糞の会話
尿掻き分け丁丁発止編
さてもさてもわが戀人
後書き

さてさて、本書を捧げます三氏との共通の出会いは、1969年の「仙台市西公園アートフェスティバル」でした。/そこで、じぶんなりの思い出を語ってみます。/先鋒、豊島重之さん(モレキュラー・シアター主宰、キュレーター、精神科医。1946‐2019)。東北大学医学部卒業後、東京へ背を向けてUターン。その結果出身地八戸は、比類なき強烈な磁場として国内外から有名無名を問わず人を引き寄せることになりました。文化の中心はここぞね。その行動力に感服つかまつる。/中堅、石川舜さん(原一男監督の映画作品「全身小説家」を真似るなら、「全身絵描き」。1936-2021)。個展会場で会話中突然「絵のためなら悪魔に魂を売る」と発言。咄嗟に私は「売らねえ」と返したのですが・・・。宮城県美術館所蔵の石川舜作品「再現」は、私の「ゲルニカ」です。なお、彼が実質上の主宰者であったそのフェスティバルでは自身の生前葬の穴掘りが行われました。/白浪五人男に二人足りぬがどん尻にひけえしは、飛び入り参加の糸井貫二さん(ダダの申し子ダダカン。1920-2021)。/その神出鬼没の出会いから、少々長くなりますが、始まり始まり。(後略。「後書き」から)

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自主講座

ご案内


日時:2023年3月1日(水曜日) 午後2時~3時半
集合場所:JR大井町駅前「花子と太郎」像前:大井町緑地児童遊園(大井1-7 通称 猫公園)
コース概略:大井町駅前-大井三叉-瀧王子稲荷-光福寺-大井の水神社-桐畑地下道-大森駅
注意:保険の類はかけていません。参加は自己責任です。受講料(案内・資料代)500円。
申込は、info@collegio.jpまで。


日時:2023年3月8日(水曜日) 午後2時~3時半
集合場所:東急大井町線中延駅(改札を出たところ)
コース概略:中延駅-源氏前小学校-立会川緑道-旗岡神社-源氏前図書館-旧中原街道-戸越銀座駅
注意:保険の類はかけていません。参加は自己責任です。受講料(案内・資料代)500円。
申込は、info@collegio.jpまで。

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武蔵野地図学序説

先月末から、早稲田大学エクステンションセンターの講座準備のため、当ブログは1月弱お休みとした。

さて2020年から角川文化振興財団発行季刊誌『武蔵野樹林』で標記の拙稿を連載中だが、その特別号「らき☆すた さいたま展 完全ガイド」のために別途6ページ分執筆し、この2月15日それが無事リリースされた。
以下がそれで、中身は「フランス式」迅速測図の原図の紹介と埼玉県内の古道案内とでも言えるだろう。

この寒中、不当に長期にわたる拘禁にも屈せず、角川歴彦氏は検察の用意した筋書きすなわち「容疑」を一貫して否認している。
齢80になんなんとする氏の心身に想いを馳せ、およばずながら力を添えたつもりである。

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