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早稲田大学の久保純子先生から依頼で、青山学院大学で開催された日本地理学会春期大会の巡見のために、3月21日木曜日は朝から1日歩きであった。
渋谷川を案内するには『「春の小川」はなぜ消えたか』著者の田原光泰さんを措くわけにはいかないので、私が午前の部、田原氏が午後の部を担当。
当日は晴れ、ただし気温低下のなか総勢25名、合計5時間半におよぶ巡行となった。

上掲写真は、スタート地点の麻布十番一の橋公園付近の「古川地下調節池排水施設」だが、それは古川一の橋至近でも、その上流右岸に所在する。
しかしグーグルマップでは、位置表示が下流の公園内におかれていて間違っている。
ワイヤレスマイクの調子が悪かったため、参加者には「グーグルマップを鵜呑みにしてはいけない例」のコメントが聞こえたかどうか。

今回の巡見の山場は「がま池谷」。
江戸中期までは谷全体が「谷戸田」で、その谷頭付近につくられた灌漑用水池が「がま池」である(下掲。拙著『古地図で読み解く 江戸東京地形の謎』p.72)。
そのことを見てもらうために、当該灌漑用水路跡を歩き、およそ道らしくない「隙間」と旧灌漑用水池ダム直下谷底の木造住宅を抜けて、それを足下とする谷頭付近から指呼の間、六本木ヒルズのビル棟が早春午後の陽に照らされて直立する様(本年1月1日の本ブログ写真を参照)を確認した。

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ちなみに「すりばち」同様、川跡を即「暗渠」とする“ウケ流行り”は、地理学や地学とは無縁であることを、あらためて指摘しておいた。
地下構造を確認せず、あるいは行政文書や土木記録等へのアクセスなしで「川跡」を歩き、それを「暗渠」として云々するのは、およそ遊びにすぎないからである。

ただ私が計画した午前の部はそもそも無謀だったようで、速足を専らとしても上掲予定コースの「いもり川」以降はショートカットせざるを得なかった。
旧いもり川の渋谷川との合流端跡「広尾一丁目児童遊園地」を見学してから、バスで並木橋まで直行。
並木橋から渋谷川開渠部に沿い、稲荷橋広場からエスカレーターで地下に潜って、UPLIGHT Cafe前で渋谷川構造物を見学、昼食休憩のために一旦解散する。

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午後の部は、渋谷駅前の人混みを抜け、宇田川とその支流の春の小川の二つの源流を確認して、初台駅前(玉川上水跡)で終了。
合計約2万歩、そのうえ内容過剰、「濃すぎる一日」だったか。

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