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来春の講座予定

12月2日の「坂学会」の講演とウォークは好評のうちに終了。
今年は来週土曜日の、淑徳大学公開講座(北鎌倉から鎌倉)でおしまいです。

いまのところ明確になっている、来春の予定を以下に掲げておきましょう。
ご都合のつくかたはどうぞ。

《淑徳大学公開講座「古地図と文学でめぐる 江戸・東京崖っぷち紀行」》
第63回 1月19日 明大前 水道道路を新宿まで
第64回 2月16日 東青梅 多摩川河原を青梅まで
第65回 3月16日 府中 郷土の森とビール工場
第66回 4月20日 町田 谷戸づくし
*いずれも土曜日、午後2時から4時ころまで。屋外。
 連絡は、淑徳大学池袋サテライトキャンパス 電話03-5979-7061

《NHK文化センター青山教室「古地図で都心の崖めぐり」》
第1回 1月12日 江戸・東京の崖と坂① 赤坂・溜池・愛宕方面
第2回 2月 9日 江戸・東京の崖と坂② 六本木・麻布・白金方面
第3回 3月 9日 江戸・東京の崖と坂③ 信濃町・四ツ谷・曙橋方面
*いずれも土曜日、午後1時から1時間ほど屋内講義、その後屋外へ。4時半ころ終了。
 連絡は、NHK文化センター青山教室 電話03-3475-1151

《「国立市」まちの歴史を探る・辿る くにたちの崖線・古道の今昔》
〈第1回〉 1月26日(土)午前10時~12時
「国立周辺の坂と崖線をめぐって」
*連絡は、国立市公民館 電話042-572-5141

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「国策」は「利権」の謂い 

原発稼働は「国策」だという。

「国策」というからには、パブリックな意思決定があるはずであるが、それが何であるかは誰も知らない。
どこで、誰が、どのような理由によって、「国策」と決めたのか。
国会という機関があるが、それは関与しない。
「国策」と言うならば、全国民の直接意思を問うべきである。

ただ、「国策」だからという。
そうして、最近はその裏の意図が露骨に語られるようになってきた。

すなわち、「国防」のための「抑止力」だという。
つまり、いつでも原爆ぐらいつくれるのだ、ということを示威しているのだという。

これでは、旧軍部の亡霊がそのまま生き残って機能していることと変わりはない。
誰が、そんなことを認めたのか。
自爆基地、あるいは恰好の国土破壊目標を54基も全国にばらまいて、抑止力もなにもあるものではない。

「国策」というのは、実質霞が関の一部官僚が決めているのである。
そうして、「国策」の結果について、「国」は責任をもたない。
一企業の責任だという。

「国策」である所以の「流出金」にたかる天下り機関や企業やら学会、ジャーナリズムが「国家」を牛耳る、日本列島の奇怪な「シロアリ国家構造」は、2012年3月11日以降、満天下全世界にあきらかとなった。
「国策」は「利権」の美称であり、仮面である。

「亡国」というのは、まさにこのようなことを言うのだ。
記憶力と理解力そして判断力の複合、つまりは「うわべの要領の良さ」だけで、一生涯自分とその家族が身分保障される官僚機構が、シロアリの巣そのものである。

「国策」は、「投票」で決定すべきものである。

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百年、千年、万年

というと、松竹梅か鶴亀にまつわるお目出度話のように思われるかも知れないが、
実は思考のパースペクティヴの話。

最近、また書評をたのまれて書いたのだが(掲載紙発行後当ブログでも発表予定)、
レトロや懐かしのイメージのある「昭和」は、
実は、「明治維新」以来進行した「破壊」が、頂点をきわめた時代だった。

何の破壊かというと、「地方」ないし「地域」の、自立と自尊の破壊。
「3・11」はその破壊の舞台裏が、あからさまに露出した事態にほかならなかった。

百年単位、でみるとそういう「透し図柄」が浮上してくる。
これを、千年の視点に転換してみると、現在はその最大破壊を経て、中央集権の「解体過程」に入りつつあることがわかる。

つまり、沖縄は離反し、東北そのほかの地方は、それぞれ「中央」に懐疑と不信をつのらせ、自立に向わざるをえない。
それゆえに、「中央政府官僚」とその提灯持ちは、ナショナリズムに訴えて、中国や韓国と反目の演出をすることに躍起となる。

これを「万年」単位でみれば、結局人間というのはかくも愚かである、という話になる。
あと1万年後に、そもそも「日本」や「日本語」、「中国」や「中国語」、「英語」自体も存在しているとも思えないのだが。

天皇皇后は、本日2012年10月13日、東京電力福島第一原子力発電所から30キロ圏内にある、福島県双葉郡川内村を訪れるという。

総理大臣野田佳彦が10月7日におこなった同発電所の不自然にして唐突な「視察」は、まったくの「露払い」だったわけだ。

事故収束、安全宣言の最大の「カード」として、天皇皇后の現地訪問は、原子力ムラ中枢によって、大分以前から企まれていた。

その候補地が、「奇跡的に汚染線量の低かった」川内村であって、帰村宣言や小学校入学式、運動会の折ごとに、パスチャーターによる巨大な報道イベントが組まれ、大々的に全国報道されたことは、記憶に新しい。その最後最大の山場が、この日なわけだ。

大山鳴動ネズミ一匹、結局のところ原発体制を維持することだけに腐心する、官僚と政府そして産業界の一部等等が存在する以上、
天皇皇后は川内村に慰問に行くべきではない。

川内村は30キロ圏内であるのに福島市よりも郡山市よりも汚染度の低い、いわば「例外中の例外」であって、そこは原子力ムラにとっては
してもいない「収束」の格好の宣伝場である。

天皇皇后が、「除染視察」という「安全ショー」に駆り出される。
天皇皇后も不幸だし、それ以上に日本列島に住む人々、まして汚染された土地から追い立てられた、何万人という人々はもっと不幸である。

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cliff of ethics

どこぞの国の、暗愚な首相が、サッカー国際試合の最中に、核発電プラントの再稼働を言いたてた。

その再稼働を阻止するため、首相官邸付近に夕刻から続々と人が詰めかけていた。
その数、4000人以上にのぼるという。

大分遅れてだが、私も駈けつけて、若い人が多いのに驚いた。

恥ずかしいことである。
私もそれに入る団塊の世代は、ぽろぽろと数える位しかいない。

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私が撮ったブレボケ写真だが、「恥を知れ」というプラカードは、国家官僚と政治家たちに向けられただけではない、50歳以上の「枢軸世代」に向けられたことばであるとも受取らざるを得なかった。

核発電プラント(原発)とその生成物(放射性廃棄物)は、その存在自体が人類のcliff edge ないし cliff of ethics を越えているのである。

そうして、どこぞの国の暗愚なマスコミは、この抗議行動を、ほとんどが黙殺したのだ。

もうひとつの私の写真は、同8日午後7時半頃の経済産業省前の抗議テントの様子。
ここは比較的高齢の女性たちが中心になって維持されている。
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人間の、人間たる理性と倫理をみる思いがする。

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天生峠

「参謀本部編纂の地図をまた繰開(くりひら)いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触(さわ)るさえ暑くるしい、旅の法衣(ころも)の袖をかかげて、表紙を附けた折本になってるのを引張り出した。
飛騨から信州へ越える深山(みやま)の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立(こだち)も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸ばすと達(とど)きそうな峰があると、その峰へ峰が乗り、巓(いただき)が被(かぶ)さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午と覚しい極熱の太陽の色も白いほどに冴え返った光線を、深々と戴いた一重の檜笠に凌いで、こう図面を見た。」・・・

冒頭から「参謀本部の地図」が登場する近代日本文学の名品は、ご存知、泉鏡花の『高野聖』。

「さあ、これからが名代(なだい)の天生(あもう)峠と心得たから、こっちもその気になって、何しろ暑いので、喘(あえ)ぎながらまず草鞋(わらじ)の紐(ひも)を緊直(しめなお)した。」

旅の高僧が同宿の若者に、おのれの若き折の体験を物語るという形式をとった、おどろおどろしいストーリーのはじめの方、魔境の女性と出逢う直前に、主人公が山蛭に襲われるのは岐阜県北部の「天生峠」(あもうとうげ)。
大野郡白川村と飛騨市との境にあるその峠の標高は1280m。庄川支流の白川と、神通川(岐阜県内では宮川みやがわという)の支流小鳥(おどり)川の分水界に相当する。

この作品は明治33年(1900)に『新小説』に発表されたのですが、「参謀本部編纂の地図」とあれば、まずは日本陸軍「誉(ほまれ)の五万分一図」、つまり明治23年(1890)から作製が開始され大正5年(1916)に全国整備が完了した列島1000枚以上におよぶ、一群の地形図のことを指しているのではないかと、誰しも考えるでしょう。

もしそうだとすると、該当する地形図は金沢3号の「白川村」のはず。しかし、図歴によれば、この図の初測は明治43年(1910)で、発行が大正2年(1913)3月だから、作中の地図が5万分の1の地形図であった可能性はにわかに消失してしまう。

〔以上は、日本地図センター発行『地図中心』に連載の「江戸東京水際遡行」の6月号掲載予定拙稿「峠と分水界」の冒頭部分〕

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ことば・文字・図

吉田東伍の『大日本地名辞書』は、日本近代出版文化史の金字塔のひとつ。唯一の欠点は、その場所の「地図」がついていないこと。

日本は「ことのはさきはふ」国、中華帝国は「文字でできあがった国」。
列島に住まう人々は、音節としての言葉に、それから文字に幻惑される。
白川静さんの説ではないけれど、漢字は呪符だし、漢語は演説向き。人をかりたてる力がある。
「明治維新」は漢詩で起動され、その後150年間つづく「東京時代」のあやまちを決定づけた。

漢詩だけではない、
詩的言語一般が情動を誘う幻術であることは亡くなった吉本隆明さんの例でもあきらか。
ちょっと角度を間違うと、とんでもないところに人を導く。
ことばで説明されればそれで一件落着するように思われるけれど、それは人間の頭のなかだけの話。人間は生物として、一定のひろがりをもった空間に物理的に生存している。
それはまた別の世界。

文字やことばのまやかし疑う方法のひとつに、「図にしてみる」というやりかたがある。

コメニウスの『世界図会』やディドロとダランベールの『百科全書』の基本は啓蒙主義だけれど、文字や言葉だけで片付けてしまわない開明的な世界がひろがっている。
だから、辞典、字典、事典も結構だけれど、それだけで完結したと思わない方がよい。

――ということを下敷きにして、小社の〈フィールド・スタディ文庫〉シリーズの1『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』および5の『川の地図辞典 多摩東部編』をつくってみたのです。

『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』 本体価格3800円 現在品切・「三訂版」準備中
『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』 本体価格3800円 現在品切・「三訂版」準備中

明治初期と近年を対照できる「地図」を付したこの2冊は、小社のロング・ベストセラーのひとつ。しかもその「地図」は「地形図」だから、土地の履歴と高低差、そして地域環境がわかる。
「液状化」等でにわかに注目された「古地図」(正しくは旧版地形図という)が収録されていて、しかも現在地がすぐにわかる。
現在の地図や地形図では川や川跡は見つけること自体が難しい。
お買い得ですよ。

〔ここまでは、『図書新聞』辞書・事典特集、(第3059号、2012年4月21日)への寄稿エッセイ〕

とくにこういう書籍は、地域の図書館に必備。ただし「予算」の関係から、「初版」だけで済ましている場合がほとんど。
「土地」に関わる書籍の改定版が出た場合は、それを必ず備える、のは図書館の常識なのに・・・
是非「三訂版」をリクエストしてください。
5月中には出来るはずです・・・

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「渚にて」

 1960年に満60歳で亡くなったイングランド出身でオーストリア在住の作家ネビル・シュートの、1957年に刊行された小説をもとにした映画『渚にて』は、その死の前年に公開され、作家の名を一躍世界に知らしめました。
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 監督は『ニュールンベルグ裁判』や『手錠のままの脱獄』を手掛け、社会派として知られたスタンリー・クレイマー。主演者にはグレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステアなどを配し、1960年の興行成績8位にランク、第32回アカデミー賞にノミネートされるなどして成功をおさめたのでしたが、核戦争による世界滅亡をテーマとしたこの話は、2000年にリメイクされ、アメリカとオーストラリアの合作によるテレビ映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』として再登場しました。
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 この2つの作品は邦題こそ別だけれど、映像作品のオリジナルタイトルはいずれも小説と同じOn The Beach。異なるのは、かつては冷戦、今回は米中戦争がきっかけ、という点。
 後者を21世紀版とすると、20世紀版はいかにもそれらしくモノクロ画面。アメリカの原子力潜水艦スコーピオンが、メルボルンに向けて浮上航行しているオープニングのこの映画は、戦争シーンはないものの、核攻撃の相互多発連鎖の結果、放射能汚染で北半球はすでに滅亡、南半球にも「死の灰」がひろがりつつある、という設定でした。
 
 しかしその人体への影響はあたかもコレラによるパンデミックのごとくで、真面目で感動的な作品ではあるけれども、「チェルノブイリ」を経て、「フクシマ」を現実に経験しつつある今日の私たちの目から見れば、ちょっと違うな、という感は否めない。

 放射性物質の飛散と、放射線の内外被曝による「世界の終り」は、たしかに、私たちの身体に「ただちに」あらわれるわけではない。チェルノブイリの例をみても、「結局なにもなかったじゃないか」と高をくくれるのは最初の3、4年。その間は免疫が低下し、とくに目、鼻、咽喉などの粘膜系の不調や風邪の症状、心筋梗塞などの突然死が主体だから原因は特定できない。

 晩発性放射線障害には数年以上の潜伏期間がある。甲状腺がんや白血病があきらかとなり、突然死の原因についてもその影響を否定できなくなるのは、数年から10年以上後の話。しかも、その巨大な全容が正体をあらわすのは「統計数値」としてなのでした。

 さらに言えば、当初の破壊力と殺傷力は莫大だけれども「キログラム」単位の核爆弾による放射性物質拡散と、事故前後の風景は変らないものの3桁におよぶ「トン」単位の核発電プラントおよび使用済核燃料プールの損傷による広範かつ深甚な影響とでは、結果の様相はまた別次元のものでした。

 ところで、カントリーミュージックのゆったりとしたメロディにのせて、60年代のはじめ、甘い歌声で
Why does the sun go on shining?
Why does the sea rush to shore?
と歌ったのはスキータ・デイビス(Skeeter Davis)でした。その歌の邦題は「世界の果てまで」。しかし原題はよく知られているようにThe end of the world。このLPのリリースは1962年ですから、上記2行目の歌詞をみても、この歌はあきらかにスタンリー・クレイマーのヒット作に影響を受けてつくられたと考えていいのです。

 しかし世界は、多くの場合、そう簡単には終わらない。スキータが歌うように、太陽は今日も照るし、海の波も、日本においてはほとんどが人工海岸となってしまったけれど、何事もなかったようにコンクリート護岸に打ち寄せる。「白昼の闇」はむしろ漆絵のように、風景の背後に黒く貼り付いている。

 (以上は、「地図の汀」(『地図中心』誌5月号連載「江戸東京水際遡行」第22回)の冒頭部分)

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視るに、聴くに、 その2

NHKが本夕7時のニュース7と9時のニュースウォッチ9で大々的に報道した《原発「民間」事故調査報告書》。
結局、原発事故の責任を、「官邸」に押し付ける「無責任村別働隊」の隠れ大本営発表だった。

問題の所在はそんなところにあるのではない。

安全神話の飴と鞭を全面に、膨大な税を投入して国策として原発を推進し、現在なおその神話から脱しえない、官政財学報の原発村そのものにあることは明らかである。

「民間」をわざわざ名乗るのに、「調査金」の出所は不明であり、メンバーはその筋の「権威」ばかり。

その「原作」を、NHKの「中枢」は、より「脚色」して全国放送した。
シナリオの目的は、人々の「政治不信」につけこんで責任を「下手人以外に」なすりつけることにあった。

曰く、政府-官邸の対応は「場当たり」であったと。
本件は、ひとりの下手人と監査・オマワリ役が仮面を変えて出て来るだけの、愚かしくも哀しい狂言劇である。

報告書のシナリオは、「対応」に集約された。
問題の根源を問わない、その責任を明らかにしない、「目くらまし報告書」である。

それを大々的に電波に乗せた「公共放送番組」も、また視るに、聴くに、堪えない、「日本的構造」の一場面である。

 また、書評を引受けたんだって?
 うん、なにせ本が読めるからね。
 どれどれ、これか。著者は高名な学者じゃないか。たしかレヴィ・ストロースのお弟子さんだったね。
 そう。文化人類学がご専門だけれど、出身が「深川」なんだ。
 それはそれは。小津安二郎の出もあのへんだったね。
 小津監督の生家は清澄庭園の南側。川田家は深川でもずっと北の小名木川北岸だから、家歴も古い。
もっとも、両家ともそれなりの商家だったようだ。
 そうね、「川向う」は北から陸化してきたところだからね。小名木川の北なら土地としては江戸以前からだし。
しかしタイトルの「下町」はどうだろうね。すくなくとも江戸時代から明治あたりまでの「下町」は今の日本橋や銀座とその周辺だけれど。
 「武蔵野」と同じように、「下町」も指す場所が外側に移るんだね。なにせ今は葛飾柴又が「下町」だし。
 しかし著者の意気込みはすごいよ、“この本で私が試みたいのは、連続した「江戸=東京下町という「地域」の視点から、変革された日本という「国家」を捉え直すことだ。そして江戸=東京下町民のありようを、西洋モデルともかみ合う形での、「市民社会」のモデルとする可能性を探ることだ”と帯にある。
 終章を含めて全27章のうち、書き下ろしと思われるのは1、4と終章だけで、あとはいくつかの雑誌に書いたもの。「朝日ジャーナル」(1987年)のもあって、最初からそういう視座をもって書かれたわけではないのね。
帯にあるようなことは、二宮宏之『結びあうかたち――ソシアビリテ論の射程』(1995年)の元になったシンポジウムに大きな啓示を受けたと終章に書いているから、段々にかたまってきたということだろうね。
フィールドワークの記録(インタヴュー)あり、思い出話あり、パリと江戸=東京の比較あり、水鳥(ミヤコドリ)についての調べごとあり、歌舞伎の話ありで、いろいなスタイルが詰まっている。
 なにが面白かった?
 それは、この著者の「杵柄」であるフィールド・ワーク、つまり地域の聞きとりね。それから、自分のお母さんやお祖父さんのこと。とくに16章の「私の幼時の記憶の中にも、生あたたかい潮の匂いが、水浸しになった早朝の街をおし包んだ、荒涼として世の終わりのような光景がある・・・・」などというのがあざやかだね。なんといっても直接体験の記憶だから。
 東京湾岸の高潮災害は現代にも無縁でない、というより下町ゼロメートル地帯には常に切実な課題だね。
 そう。砂町銀座は「東京で一番元気な商店街」といわれるけれど、ゼロメートルどころかマイナス2~3メートル地帯。だから201ページの昭和38年の水害と現代の比較写真はとてもインパクトがある。
 ただ、全体には文化論的な記述が多いし、身びいきの温(ぬる)さが目立つね。たとえば歌舞伎の「助六」を、「武士の文化に対抗する江戸町人の意気」と言うけれど、助六になぶられて最後は殺される「意休」という「武士」が、実は歌舞伎界がその支配から脱した後の弾左衛門をモデルとした、という説をどう見るのだろうと思ったね。
 そうね。下町もいいけれど、「地域」を問題にするなら、「3・11」以後、東京はもう東京だけでは語れないしね。
 これからの人類学は、フィールドをスタティックにとらえていたら成り立たないだろうね。「グローバル化」と「核」の正体が露出したし、実際に東京でも難・流民化がはじまっている。「3・11から20年後」の射程をもった「ソシアビリテ論」が望まれるね。
 そう。著者はアフリカの奴隷制も研究したようだけれど(『曠野から』1973)、金原ひとみが『東京新聞』(2011年10月11日夕刊)に書いた「主人すらいない奴隷」という言葉をどう受け止めるか、知りたいところだね。

(以上は、2012年2月4日付『図書新聞』掲載書評。対象は「江戸=東京の下町から 生きられた記憶への旅」川田順三著、2011年11月25日、岩波書店)

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