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選挙と活断層

テレビと新聞・雑誌は、この何ヶ月か、極力見ないようにしてきた。
その予感はあたっていた。

「選挙」の結果である。
自民党の大勝、猪瀬の圧勝、「改憲」の現実化という結果である。

「民主主義」というものは、日本においてはかくも愚かな結果を現出する。
ペットが弱腰の主人を侮り、専制的な「飼い主」を崇める構図によく似ている。
この場合の「ペット」とは、もっとはっきりした言い方をすれば「奴隷」である。

民主党は、「オタオタした素人政治」で、閉塞のイメージしか残すことができなかったのだ。
国家官僚を中核とする、「利権共同体」の高笑いが聞こえてきそうだ。
巨大な金のもとに、とりわけテレビの裏側で、電通や博報堂が暗躍した結果でもあろう。

かつての魯迅と竹内好の指摘は、現在の日本にも、そして中国の現在にも、
それぞれ異なったニュアンスはあれ、もちろん有効なのだ。
ゆめゆめ、「あの国とはちがう」なとど言うことなかれ。
(cf.竹内好「中国の近代と日本の近代」『日本とアジア』所収)

これで「日本」の「国家」的体裁は一見強固となるだろうが、実は長い目でみれば
亀裂と解体、そして動乱のはじまりであったことが、明らかとなるだろう。
地下の、見えない活断層のズレが、一段と大きく成長したのである。

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