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百年、千年、万年

というと、松竹梅か鶴亀にまつわるお目出度話のように思われるかも知れないが、
実は思考のパースペクティヴの話。

最近、また書評をたのまれて書いたのだが(掲載紙発行後当ブログでも発表予定)、
レトロや懐かしのイメージのある「昭和」は、
実は、「明治維新」以来進行した「破壊」が、頂点をきわめた時代だった。

何の破壊かというと、「地方」ないし「地域」の、自立と自尊の破壊。
「3・11」はその破壊の舞台裏が、あからさまに露出した事態にほかならなかった。

百年単位、でみるとそういう「透し図柄」が浮上してくる。
これを、千年の視点に転換してみると、現在はその最大破壊を経て、中央集権の「解体過程」に入りつつあることがわかる。

つまり、沖縄は離反し、東北そのほかの地方は、それぞれ「中央」に懐疑と不信をつのらせ、自立に向わざるをえない。
それゆえに、「中央政府官僚」とその提灯持ちは、ナショナリズムに訴えて、中国や韓国と反目の演出をすることに躍起となる。

これを「万年」単位でみれば、結局人間というのはかくも愚かである、という話になる。
あと1万年後に、そもそも「日本」や「日本語」、「中国」や「中国語」、「英語」自体も存在しているとも思えないのだが。

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