Archive for 10月, 2020

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下僕国家

摘発の予感におびえ政治の表面からトンズラしたアベの最大の功罪というより罪悪は、意のままになる官僚のみの体制をつくりあげ下僕化させたことだが、それをひきついだアベアバタースガが日本学術会議の下僕化をあらわにした。

学術会議メンバーは公務員だから任免権は政府にあるという論理だ。
バカを言ってはいけない。
首相は企業の社長だと言っているというか思っているのだが、そうだとすれば政治家が政治のイロハを弁えていないということになる。

ソーリダイジンは私企業のトップとは異なる。
公共性のトップでなければならない。
こんなことはプラトンの『国家』を読むまでもない。

学術は科学性以外の下僕であってはならない。
そうして公共性は科学にもとづかねば破綻する。
したがって次の定式のうち、左項が常に上位でなければならない。

科学≧学術>公共性≧国家>首長

権力は、自身の恣(私)意性を束縛されなければならない。
モンテスキューはそれを「三権分立」として定式化した。
それは一種の技術だが、アベ政治のもとでそれすら弁えていない政治家や官僚が近年の列島に叢生した。
「憲法」や「立憲」の意味を知らない選挙民と政治家も叢生した。

式をもっと単純化すれば

客観性>恣(私)意性

となる。

ヒトが歴史的に積み上げてきた英知、これを学術と言い換えてもいいが、その英知が上の二つの定式に込められている。それは、権力は常に恣意の誘惑にさらされていて、権力者は上の式の逆の磁場に存在するからである。
これらもっとも基本的な定式を了解せず、恣意の誘惑に抵抗しない政治は破綻を運命づけられている。
学術をおのれの下僕と見做す国家に未来はない。

「学問の自由」という言葉は「自由のはきちがえ」などといって誤解される。
むしろ「学の独立」こそが適切だが、さてその文句を「校歌」にもつどこぞの大学のトップは、この事態に対してその「精神」を示すのかどうか。
「経営」や「経済」なんぞを理由に逡巡するようなら、そんな「大学」はツブレてしまっていいのである。
わが加盟するいくつかの学術団体が、この事態にどう対処するかも見物である。

ドレイの主人はそれ自身がドレイである。
この格言は永遠である。

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潜在自然植生 その3

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神奈川県立東高根森林公園の県指定天然記念物シラカシ樹林。
下から見上げると、木々が互いに光の隙間をつくりだして葉枝の縁がモザイク状になっているのがわかる。英語でcrown shyness(樹冠のはじらい)、日本語では樹冠の譲り合いと呼ばれる現象であるが、実際は風による揺れでぶつかり合うのを避けた結果と見られる。
シラカシがなんらかの理由で独立樹である場合は、以下のような姿を呈する。樹齢40~50年であろうか(同森林公園にて)。
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ブナ科コナラ属の常緑広葉樹シラカシは武蔵野地域の潜在自然植生である。
東高根森林公園は自然林に近い貴重な植生を残しているが、実際の極相林は樹齢何百年という巨木で占められていた。林床に届く光は限られ、そこに生育する低木や草本の種も貧弱であった。
まして樹林の生産量は草原のそれに比べて著しく貧しいのである(岩城英夫『草原の生態』1971)。

数千年前、ヒトはこのような単相の大樹林を可能なかぎり多様な資源環境に変えるため、火をもってそれを切り開き、またその豊富な植生を維持するために、定期的な野焼きを行ってきた。
「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」とイメージされる武蔵野の「原風景」は、ヒトがつくりだした人為景観であった。
「縄文人」は決して「森の民」などではなく、ヒトとして生きるべく生きただけであった。

草本卓越を端的に示し「武蔵野屏風」の説明に引用される前掲歌は、『甲子夜話』巻七十に伊達政宗の和歌に関連して「古歌」として出てくるものだが、「武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲」(中院通方『続古今和歌集』巻第四)の本歌取りで、江戸時代に流布した俗謡とみられる。

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潜在自然植生 その2

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この図は「東京都潜在自然植生」(東京都環境保全局、1987年)の一部で、前の『日本植生誌』の附図が50万分の1であったのにくらべ基図を5万分の1と長さで10倍にし、より詳細である。
中央線国分寺駅を中心としたエリアを切り出したが、前の図では「シラカシ群集」(4)のみであったのを、この図では開析谷斜面や窪地、玉川上水(上辺1本斜線)沿いおよび国分寺崖線部(左端中央から右下へつづく)が析出され「シラカシ群集、ケヤキ亜群集」(3)としている。

”樹の多いこの斜面でも一際(ひときわ)高く聳える欅(けやき)や樫(かし)の大木は古代武蔵原生林の名残りであるが、「はけ」の長作の家もそういう欅の一本を持っていて、遠くからでもすぐわかる。斜面の裾を縫う道からその欅の横を石段で上る小さな高みが、一帯より少し出張っているところから「はけ」とは「鼻」の訛(なまり)だとか、「端(はし)」の意味だとかいう人もあるが、どうやら「はけ」すなわち「峽(はけ)」にほかならず、長作の家よりはむしろ、その西から道に流れ出る水を溯って斜面深く喰い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。”(大岡昇平『武蔵野夫人』冒頭近く)
よく指摘されるのは地理や地形についての大岡の観察と知識だが、植生についても本質に迫る記述であることに気づかされる。

図の右上、東北東に向かうのは石神井川上流の谷、図中央から玉川上水の南を東にのびるのが仙川の谷頭部である。
左半中央に細長い斜めU字型をつくる2つの谷がみえる。南側は恋ヶ窪谷、北をさんや谷という。また国分寺駅の東側で北につき出しているのは本多谷である(『国分寺市史』1986)。
国分寺駅の南側一帯は大雑把に「シラカシ群集、ケヤキ亜群集」(3)にくくられ、殿ヶ谷戸谷や丸山台(通称)などの起伏は省略されてしまったが、本来は小金井市中町や前原町付近のように「シラカシ群集」(4)と「シラカシ群集、ケヤキ亜群集」(3)が混じるはずである。
国分寺駅の北に細長い水色部分があるが(18)これは日立中央研究所の池で、その植生は「ヒルムシロクラス」としている。
玉川上水や日立の池もそうであるが、人工的に改変された地形も、当然ながら潜在自然植生に影響を与えるのである。

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