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潜在自然植生 その3

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神奈川県立東高根森林公園の県指定天然記念物シラカシ樹林。
下から見上げると、木々が互いに光の隙間をつくりだして葉枝の縁がモザイク状になっているのがわかる。英語でcrown shyness(樹冠のはじらい)、日本語では樹冠の譲り合いと呼ばれる現象であるが、実際は風による揺れでぶつかり合うのを避けた結果と見られる。
シラカシがなんらかの理由で独立樹である場合は、以下のような姿を呈する。樹齢40~50年であろうか(同森林公園にて)。
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ブナ科コナラ属の常緑広葉樹シラカシは武蔵野地域の潜在自然植生である。
東高根森林公園は自然林に近い貴重な植生を残しているが、実際の極相林は樹齢何百年という巨木で占められていた。林床に届く光は限られ、そこに生育する低木や草本の種も貧弱であった。
まして樹林の生産量は草原のそれに比べて著しく貧しいのである(岩城英夫『草原の生態』1971)。

数千年前、ヒトはこのような単相の大樹林を可能なかぎり多様な資源環境に変えるため、火をもってそれを切り開き、またその豊富な植生を維持するために、定期的な野焼きを行ってきた。
「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」とイメージされる武蔵野の「原風景」は、ヒトがつくりだした人為景観であった。
「縄文人」は決して「森の民」などではなく、ヒトとして生きるべく生きただけであった。

草本卓越を端的に示し「武蔵野屏風」の説明に引用される前掲歌は、『甲子夜話』巻七十に伊達政宗の和歌に関連して「古歌」として出てくるものだが、「武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲」(中院通方『続古今和歌集』巻第四)の本歌取りで、江戸時代に流布した俗謡とみられる。

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