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潜在自然植生 その2

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この図は「東京都潜在自然植生」(東京都環境保全局、1987年)の一部で、前の『日本植生誌』の附図が50万分の1であったのにくらべ基図を5万分の1と長さで10倍にし、より詳細である。
中央線国分寺駅を中心としたエリアを切り出したが、前の図では「シラカシ群集」(4)のみであったのを、この図では開析谷斜面や窪地、玉川上水(上辺1本斜線)沿いおよび国分寺崖線部(左端中央から右下へつづく)が析出され「シラカシ群集、ケヤキ亜群集」(3)としている。

”樹の多いこの斜面でも一際(ひときわ)高く聳える欅(けやき)や樫(かし)の大木は古代武蔵原生林の名残りであるが、「はけ」の長作の家もそういう欅の一本を持っていて、遠くからでもすぐわかる。斜面の裾を縫う道からその欅の横を石段で上る小さな高みが、一帯より少し出張っているところから「はけ」とは「鼻」の訛(なまり)だとか、「端(はし)」の意味だとかいう人もあるが、どうやら「はけ」すなわち「峽(はけ)」にほかならず、長作の家よりはむしろ、その西から道に流れ出る水を溯って斜面深く喰い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。”(大岡昇平『武蔵野夫人』冒頭近く)
よく指摘されるのは地理や地形についての大岡の観察と知識だが、植生についても本質に迫る記述であることに気づかされる。

図の右上、東北東に向かうのは石神井川上流の谷、図中央から玉川上水の南を東にのびるのが仙川の谷頭部である。
左半中央に細長い斜めU字型をつくる2つの谷がみえる。南側は恋ヶ窪谷、北をさんや谷という。また国分寺駅の東側で北につき出しているのは本多谷である(『国分寺市史』1986)。
国分寺駅の南側一帯は大雑把に「シラカシ群集、ケヤキ亜群集」(3)にくくられ、殿ヶ谷戸谷や丸山台(通称)などの起伏は省略されてしまったが、本来は小金井市中町や前原町付近のように「シラカシ群集」(4)と「シラカシ群集、ケヤキ亜群集」(3)が混じるはずである。
国分寺駅の北に細長い水色部分があるが(18)これは日立中央研究所の池で、その植生は「ヒルムシロクラス」としている。
玉川上水や日立の池もそうであるが、人工的に改変された地形も、当然ながら潜在自然植生に影響を与えるのである。

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