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1月 25th, 2018
1月 25th, 2018
笹子峠 その2
前回掲げた地図(輯製二十万分一図「甲府」の一部)を見ていただければ、山地と山間地において輦(馬車)と肩輿が交互に用いられたことがわかる。
ただちに生起する疑問は、馬車はどのように用意されたのか、という事柄であろう。
駅逓制度さながら山間・平坦地の要宿(しゅく)には予め同然の馬車が用意されていたのか、そうでなければ、険阻狭隘の地で肩輿が用いられるときは馬を馬車から外して人が牽き、馬車そのものは車輪を外しその箱を何人かで担ぎ、なかば「解体」して上り下りしたか、のいずれかである。
このような「裏方」についての明確な記録が公表されないかぎり、蓋然性から後者であったと推定しておくのが妥当であろう。いずれにしても山地および平坦地両方のミチにおいて、急遽拡幅ないし削平工事が行われたところは少なくなかったのである。
さて、ミチは今やまっすぐに笹子峠をめざす谷壁のトラバース路、すなわち新田(しんでん)沢沿いのミチである。杉の木の間を通る、暗く湿ったミチである。
片方を見れば深い谷底、反対側は山肌が迫る。
崖際、崖っぷちのミチ、というよりも崖中の小径と言う方が正確である。