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傾城之墓 西国分寺

JR中央線西国分寺駅改札北北東約260メートル、開析谷壁斜面すなはち恋ヶ窪の窪地西端に、真言宗豊山派、武野山広源院、東福寺あり。

寺伝に鎌倉時代初期および享禄元年(1528)開創とあり、元和7年(1621)享保10年(1725)中興と伝ふ。
多摩八十八ヶ所霊場二十八番なりといふ。
旧鎌倉街道に面し、さらに300メートル北に熊野神社ありて東福寺その別当寺なりき。
其の鎌倉街道東200メートルほどには、並行せる古代官道東山道武蔵路の遺構あり。

東福寺境内斜面下に傾城之墓および傾城墓由来二碑あり。
以下由来碑読み下し、またその写真を添ふ。
●一字不詳なり。
教示を乞ふ。

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One Response to “傾城之墓 西国分寺”

  1. collegioon 26 11月 2018 at 8:43:38

    1字不明部分は「だ」(多)であるとは、小金井の堀井光夫さんからご教示いただきました。
    関口渉『国分寺の石造物 -社寺奉納物・碑・その他編』に読み下しがある由。
    国分寺市の図書館にある本とのことで、不勉強でした。
    (H)

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