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農耕牧畜と国家の終焉

農耕牧畜と国家の起源は近接しているか一致している。
国家の定義によって大分異なる面が出てくるだろうが、いずれにしても農耕牧畜社会以前の狩猟採集社会に国家が存在し得なかったことは確かであろう。

農耕牧畜(業)社会から工業社会へ、そして情報業社会へと、社会変容は単純化してとらえられる。
このプロセスモデルのいずれにおいても、国家は存在している。
しかしながら、ホモサピエンスの出アフリカは約20万年前。
農耕牧畜が開始されたのは約1万2千年前とされるから、「人類史」のなかでそれは圧倒的に短い時間である。
国家も同様に、まったく最近の発生体に過ぎないのである。

そうして、農耕牧畜に基盤を置いた(今なお基本的にはそうであるが)人類史の「歴史時代」は、例外的に温暖で安定した気候の賜物だった。

この安定期が破られるとすれば、それは近年の人為がなせる「地球温暖化」の結果ではない。
自然は、いかなる人為をも凌駕する。

かつて人類史の圧倒的な時間を覆っていた氷河期。
それは激烈な寒冷と温暖が交代する「異常気象」の常態期を意味していた。
平野はたちまちのうちに海面下となり、それは幾度も繰り返される。
豪雨も旱魃も、豪雪も間断なくやってくる。
「異常気象」の常態期に、農業も牧畜も存立することはそもそもあり得ない。
生存できる人間も、多様な生物に紛れ、そのなかで許容された数でしかあり得ない。
そこでは国家はもはや意味をなし得ない。

農耕牧畜文明社会は、人類史の「発達」によって誕生したのではない。
それは、「たまたま」の条件のもとで発生した、つかの間の「繁栄」にすぎないのである。

中川毅『人類と気候の10万年史』(2017)を読んで、そう思った。

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