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評林 白泉抄11

「敗戦」を「終戦」、「占領」を「進駐」、果ては「事故」を「事象」と糊塗するごとき「精神勝利法」(『阿Q正伝』)の亜流に異ならず、大陸はいざ知らず斯くの如き欺瞞今日の列島に通用せること怪しき様なり。然れども当1945年(昭和20)、32歳の白泉「終戦」と前置し次の句をものしたり。

新しき猿又ほしや百日紅

此の句につき、銅版画家にして詩人なる橋本真理その著『螺旋と沈黙』(1978、大和書房)に「埒もない木登りをしては失墜する猿に天皇制を託した暗喩」の誤読を認(したた)む。而して中村裕氏「その読みも可能だ」と誤釈を肯んぜり。曰く「「猿又」は、「猿股」と「猿、又」の両様の解釈ができるようにこれをつくったのではないだろうか」と(『疾走する俳句 白泉句集を読む』2012年、70頁)。

然(さ)り乍(なが)ら此れ全くの誤読なり。敗戦当座列島世相は「神州無敗」「大日本帝国教(カルト)」崩壊に茫然自失、解離症に陥りしこと、俳壇の大ボス高浜虚子の「秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ」てふ無惨なる終戦句に明らかなり。そも「新しき猿」とは何ぞ、新種の猿人ならんか。「国体」すなはち「天皇制」護持され、退位もせず、「失墜」もとよりなし。白泉斯の如き政治少年少女の「深読み」と元来無縁なり。

「猿股」は江戸時代より列島に着用ありし男子の短ももひきにて、当句においては「娑婆」の象徴なり。その対極にありしは陸海軍入営時1人3本給さる「制服」越中褌(ふんどし)にて、当褌を含め官品紛失は営倉ものにて候ひき。「猿又」(=猿股)は、1944年6月横須賀海兵団に応召入隊、函館黒潮分遣隊にて敗戦の「玉音」を耳したる白泉の胸中に湧き上がりし「物象」に他ならず。

然してサルマタよりサルスベリに直行する駄洒落諧謔、日本教(カルト)の愁嘆場を無化、脱化、茶化して余りあり。これひとり生理或は生活上の皮膚感覚を梃に「終戦」に対し得たりと言はざるべからず。「大衆の原像」(吉本隆明)なるものありとせば斯かる諧謔にこそ其の裳裾を見ん。「8・15」を率直と卑近に現前せしむ名句と存じ候。 

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