collegio

口説の徒

かつてそうであったか、いまなおそうであるかの違いはあるが、あらゆる宗教は新興宗教である。
そうして、それらの始祖は、沈黙を基底にもつ口説の徒であった。

しかしここで言いたいのは、身辺に見え隠れする、低級かつ軽薄な、政治的口説の徒のことである。
これに処するに、交わりを断つことが最上であり、それ以外の対応はありえない。
そのような者は、AでBと言い、QでPと言いつつ世にはばかるからである。
つまりその口説によって他人に取り込み、おだて、畏服させ、そして利用し、さらには貶し、ついには脅す。
彼が平生もっとも得意とするのは、倫理という、ソフィスティケイトされた脅しである。
ためにして人を操ること、それが政治であり、彼の使命でもあると信じて疑わない。
その手口を知った者は嫌悪して交わりを断ち、いまだ知らざる者は信奉者となる。

Comments RSS

Leave a Reply