1月 11th, 2015
地図+地名辞典としての「川の地図辞典」
友人から知らせがあって、今朝の朝日新聞読書欄を見たら、「思い出す本 忘れない本」のコーナーで、なぎら健壱という人が、小社刊『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』をとりあげて紹介していた。ありがたいことであるが、文末に「4104円」とありました。定価4000円を超えないよう本体3800円としたのに、「どんどん上がる消費税」にはあらためて腹が立つ。
ところでこの本は、「消えた川」も記録した本であることは確かだけれど、「出版」という観点からは、実はおそらく世界でもはじめての、「地図付地名辞典」なのです。
最近、『地図中心』誌(508号、2015年1月)の連載冒頭に、この本のことを書いたけれど、この折に以下それを抄録しておきましょう。
『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』の初版が出て7年が、『川の地図辞典 多摩東部編』(いずれも菅原健二著)では4年半が経過しました。
本邦はもちろんのこと、世界的にも稀な「地名辞典+地図(新旧対照地形図)」の誕生がなにをきっかけとしていたかと言えば、それはとりわけ日本列島の大都市部を中心に、地表の河川の多くが高速道路に覆われ、かつ次々に埋立ないし暗渠化されたという世界的にもマイナーな現実が存在したからにほかなりません。それは、視界から川が消去されてしまったがゆえに、過去および現在の川の存在を明示した地図が必要になる、という逆説でした。
都市河川の所在と地形、言い換えれば地表の凹凸が日常的にはほとんど意識されなくなり、「地形図」にすら明瞭な形では描かれなくなった現実の底からは、振り払っても消えることのない一種の危惧というか、危機感が浮上してきます。
これは現代日本において極端に現われていることとはいえ、大げさに言えば人類の歴史上はじめての事態でもあって、先行業績や類書もすくなく、ために信頼できる個々のデータに依拠しながら、それを水系ごと、地域ごとに割り振り、地図に概括して立項し、個別説明してゆくという作業は、ほとんど個人的営為に終始せざるを得ませんでした。組織力や機械力の一般的となった現在では、しかしこうした、独力でひとつの価値を創造する労作物はまことにすくなくなったとも言えるのです。
惜しむらくは前者は現在三訂版が刊行されているけれど、また後者は初版がほぼ完売に近いけれど、出版事業として類例のないものであるにもかかわらず、逆にそれだからというべきか初版部数自体が少なく、著作者出版社ともにまったく利益を得ているわけではない。
何故ならばこの種の情報は地表の変化や新しい情報に対応して常に「補足・訂正」が加えられ、改版したものが、また世の公に示される必要があるのですが、地域の公共図書館は初版を入れたら2版といえども購入しないのがあたりまえらしい。予算がないからという。世の中には情けなく、愚かなことが多いけれども、これもそのひとつ。
しかしその一方で、ぜひわが地域にもこのような本が欲しい。つくってくれとおっしゃる向きは絶えない。
そうして、その要望が一番多かったのは、横浜地域でした。
もちろん、横浜市の人口は日本の市町村としては最大で、また世界最大の巨大都市(メガシティ)の一部として東京と一体という現実があるからですし、また近世末期からだけれども、都市としての歴史と役割も大きかったからなのでしょう。
そのため本稿では、とりあえず『川の地図辞典 横浜編』の準備として、日本地図センターの「東京時層地図 for iPad版」の横浜中心部を用いながら、川の所在と地形のありようを、紙幅のゆるすかぎりでみてみることにしましょう。
なぜならば、横浜は開港やモダン都市にちなむ観光地ではあっても、「それ以前」に目を向ける人は多くはなく、まして「地形」や「川」は地元においても意識されているとはかならずしも言えない状況があるからです。(略)