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7月 8th, 2009
7月 8th, 2009
【古地図を旅する】 本の街・神保町徘徊 その1
神保町は出版人にとっては伝説の巷。
伊達得夫の《書肆ユリイカ》(『ユリイカ』)があった。森谷均の《昭森社》(『本の手帖』)があった。
ラドリオがあった(いまもあるが)、ランチョンがある、ミロンガがある、キッチン南海の黒カレーも健在。
ハーバード大学のエリセーエフが言ったからかどうか知らないが、この「世界最大級の古書店街」は空襲を免れた。だからところどころには看板建築も、近隣には神田やぶそばやまつやなどの古い建物も残存している。
そうして物書きのほとんどが、この界隈に足跡を遺し、今なお徘徊する。
けれども往古を訪ねれば、旗本邸が居並んだ人影淋しいお屋敷町。「北神町会」の町名由来板によれば、元禄時代に神保長治さんが広い屋敷地を割り当てられたことが地名(神保町)のはじまりという。
なにはともあれ、場所の記憶を訪ねるには、まず古地図。
江戸の古地図と言えば、すぐ思い浮かぶのは「切絵図」でしょう。
けれども、知られた古地図ほど「シン古地図」が多い。つまり、よく目にするのは、後世というか現代につくりなおされた「アトカラ古地図」の類です。
だからここでは、できるだけ本ものを見ていただく。
汚れや折線、虫食穴があるのはその証だと思ってください。
お目にかけるのは、いく種類かある切絵図のなかから、比較的地誌が正確と言われる近江屋板(近吾堂)の図で、この界隈を含む「駿河台小川町図」。刊行の嘉永2年(1849)はペリー浦賀来航の4年前で、もうほとんど幕末。広げた地図の大きさは65×46センチ(紙の概寸)。結構大きいのですよ。