5月 12th, 2024
「ガード下」の話 その7
話の寄り道ついでに、渋谷駅東口地下広場の「構造物」の写真を示しておこう。撮影日は2024年3月10日、場所は地下1階 UPLIGHT Café前である。
柱に支えられて天上側に少し曲線化した長めの構造物が取り付けられているが、これが「渋谷川のなれの果て」であって、前述のように大雨の時、下水幹線からの溢水すなわち雨水と汚水の混じった流れだけがこの中を通る施設である。渋谷再開発の余波を受けてこの東口地下広場も日々変貌を遂げ、2枚の広告板はまもなく取り払われた。Café前にはテーブルや椅子が並べられ一息入れるのに好都合だったが、それもなくなった。ただこの天井構造物自体が取り払われることは、しばらくはあるまいと思われる。
話を鉄道の高架部すなわちガードに戻そう。渋谷駅北に接する国道246号(旧大山街道)との交差部の大ガードの現在の姿は、下の通りである。
西側からの撮影で、ガードの向うに見える超高層ビルは中央が渋谷スクランブルスクエア、左が渋谷ヒカリエ。宇田川はかつてはこの撮影位置から左へ流れ、合流する渋谷川はガードの向う側を、右へすなわち南に流れ下っていた。
渋谷駅周辺はどこも工事中で、このガードもその例に洩れず、工事用の白い板で覆われている。通常ガード下には中野駅の高架部写真にあるように(本項その2・その3)、「自動車等が衝突したのを見た方は、至急ご連絡下さい」というJR施設指令のお願いプレートが、ガード名と電話番号付きで張りつけてあるはずだが、工事中でそれも確認できないため、やむを得ず電話して問い合わせたが、音では正確を期し難かった。今尾恵介さんからの教示で「宮益河道橋」と判じた。
さて、この大ガードの北約90mには次のような小さなガードが口をあけている。
このいかにも古い高架部の向かって左手、落書がなされているところには例のJR東京施設指令の「お願い」プレートが貼り付けてあって、「山手線(15)中渋谷ガード」が明記されている。この「中渋谷ガード」こそ、新たに敷設された宇田川の暗渠水路の跡で、竣工は「昭和初期」という(『「春の小川」はなぜ消えたか』p.186)。
ガードの形の古さからそれは頷けるが、本項その6の1955年図には高架部の記載はない。記号があって然るべき位置は縦の「神宮一丁目」の文字の「丁」と「目」の間の道が鉄道線路とぶつかる位置で、その先線路記号の右側に短い「ヒゲ」(築堆部:盛土部)の表記が消えているのは人道ガードの存在に配慮した結果だろう。ガード名の「中渋谷」とは、明治初期まで存在した上、中、下の渋谷村の名に因むと思われるが、確認できていない。
上掲は1983年(昭和58)に編集作成された1万分1地形図「渋谷」の一部である。左上に細長い緑の四角で示されているのは「宮下公園」。今日では野宿者を排除して再開発された挙句、グッチやルイ・ヴィトンなどキラキラ品店舗の塊となってしまったが、ともかくも緑四角の左下角、「渋谷西部」百貨店のA館とB館の間を通ってきた道が鉄道下を抜けるところに、ごく短い縦線が描かれているのが、このガードである。
そうして国道246号(旧大山街道)のガードも同様に描かれてはいるのだが、細線のため等高線などとまぎれてそれと気づくのは難しい。戦後の「ガード下」の遺香は、至近の「のんべい横丁」(渋谷1丁目25番地。地図では「渋谷東急イン」左下、薄青数字「25」)に辛うじて漂うのみである。
渋谷大ガード、正式名「宮益河道橋」は、この写真の奥に鎮座する。
ところで、2007年8月に施行された「地理空間情報活用推進基本法」は、紙地図駆逐の推進役となった。国土地理院の地図は基本的にデジタル情報に転化し、基本図の2万5千分1地図を除いて、紙の地図はつくられず更新もされないことになった。だから1909年以降都市部を中心として作成、更新されてきた1万分1地形図も作製最後期は2008年で、2021年の即位記念「東京中心部」は例外であった。
それでは2万5千分1地形図の最新版では、渋谷駅付近はどのように表現されているであろうか。
上掲は1:25000地形図「東京西南部」2015年(平成27)調製図の一部だが、ご覧のように情報量は極端に少なくなるものの、駅前交番と記念碑(ハチ公像)とともに、国道246号とクロスする「高架部」だけはしっかりと記載されている。図の上辺、標高「27」の地点から左の郵便局記号(渋谷神南郵便局)に向かう道と鉄道の交差部にも高架部が記入されているが、こちらは「山手線(16) 上渋谷ガード」。
小規模な人道に架した「中渋谷ガード」は、2万5千分1地形図では省略されたのである。
これらの地形図の表記に対して、現在もっとも利用されていると思われるGoogle Mapでは、広告収入を背景として店舗情報が氾濫する反面、ガードのような「地物」(ちぶつ)は微地形とともに、表現されることはおよそ稀なのである。