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「ガード下」の話  その4

以前予告した通り、中野駅の次は渋谷駅の古いガードについて触れたい。

渋谷のガードを俎上に載せるきっかけは、去る3月21日に実施された日本地理学会春季大会における「巡検」(渋谷川・古川とその支流)の、学会誌報告のためであった。
どうしてもガードの固有名詞を調べる必要が生じたためである。

前にも指摘したが「ガード」とは畢竟鉄道のための「橋」で、ただし跨いでいるのは川でなく道路である。
そうして一般の河川橋と同様、ガードにも管理のために個々の施設(橋)には固有名詞が付され、台帳に登録される。
中野でもそうであったが、名称はガード建設当時の状況を反映して、古い字名を用いたバス停などとともに地誌や地形の証言者ともなり得る。
ましてガードは移動や廃止が稀である。証言するところの確実性は大きいのである。
まずは現在の渋谷駅の北側、宮益坂と道玄坂の間、旧大山街道、現国道246号をまたいでいるガードの名についてである。

渋谷停車場は1885年(明治18)、日本鉄道の赤羽‐品川間開通(所謂「山手」線)と同時に開業した。
もっとも停車場は現在より300mほど南の恵比寿駅寄りに開設されたのだがそれは措いて、旧大山街道を渡る部位は古い地図では以下の通りである。

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1887年(明治20)刊の内務省地理局5千分1「東京実測図」のうち「三幀ノ二」の一部、宮益坂とその坂下である。該当部分をさらに拡大してみよう。

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中央南北の線は渋谷川。棘のような記号(ケバ(毛羽)ないしハッチ(hachures)という)は斜面を表わし、大山街道以北は左岸に、以南は両岸に付されている。棘の太さは傾斜角を、その先端は傾斜の最大方向すなわち低位を指す。
「旗竿式」で示されている鉄道もその両側に棘の斜面記号をもつが、こちらは細い先端が外側を向いているから、線路は高位部である。河川の合流する低地部の鉄道は、盛土つまり土手の上を通されたのである。したがって図上南北に並行する2つの線条は、一方は凹部、他方は凸部なのである。
それらの線条に交差する道路の中央に記入された数値は、もちろん水準点の標高だが、その単位は「尺」である(尺単位の標高数値は戦前の内務省地図すなわち都市計画系図の特徴である)ことに注意されたい。

さて河川が合流すると書いたが、図の左手「956」の数字(これは標高数値ではなく所謂「地番」である)から合流するのは、渋谷川最大の支流宇田川である。また、南側から鈎型に延びるのは、三田用水から水田灌漑用に引水された細流のひとつで、盛土された旧大山街道の下をくぐって宇田川に合流している。その合流地点付近、不整形の区画の中に水平の線分が描き込まれているのは水田を示している。
小さな丸ないし点が沢山描き込まれているのは畑地である。そうして水準点値「50.9」の左側、渋谷川とクロスする街道部には2本の短い線が加えられ、そこに橋(宮益橋)があることを示している。それに反して、鉄道の盛土部が宇田川とクロスするところには特に何も描かれてはいない。しかし、小さな流れとはいえ鉄道が川を越えるのだから、そこは単なる盛土ではなく、何らかの「鉄橋」が存在したはずである。
さらに言えば、鉄道は宇田川とともに大山街道を越えるのだが、そこには何の記号も付されていない。図描と読図のかぎりでは平面交差ということになるが、土手上を走っていたのが路面に下りてくるとは、余程低い土手だったに違いない。

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