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島木健作『赤蛙』

 ぼんやり見てゐた私はその時、その中洲の上にふと一つの生き物を発見した。はじめは土塊(つちくれ)だとさへ思はなかつたのだが、のろのろとそれが動きだしたので、気がついたのである。気をとめて見るとそれは赤蛙だつた。赤蛙としてもずゐぶん大きい方にちがひない、ヒキガヘルの小ぶりなのぐらゐはあつた。秋の陽に背なかを干してゐたのかも知れない。しかし背なかは水に濡れてゐるやうで、その赤褐色はかなりあざやかだつた。それが重さうに尻をあげて、ゆつくりゆつくり向うの流れの方に歩いて行くのだつた。赤蛙は洲の岸まで来た。彼はそこでとまつた。一休止したと思ふと、彼はざんぶとばかり、その浅いが速い流れのなかに飛びこんだ。
 それはいかにもざんぶとばかりといふにふさはしい飛び込み方だつた。いかにも跳躍力のありさうな長い後肢が、土か空間かを目にもとまらぬ速さで蹴つてピンと一直線に張つたと見ると、もう流れのかなり先へ飛び込んでゐた。さつきのあの尻の重さうな、のろのろとした、ダルな感じからはおよそかけはなれたものであつた。私は目のさめるやうな気持だつた。遠道(とほみち)に疲れたその時の貧血的な気分ばかりではなく、この数日来の晴ればれしない気分のなかに、新鮮な風穴が通つたやうな感じだつた。

上掲は高等学校の教科書などにも屡々採用される島木健作(本名朝倉菊雄、1903年9月7日 - 1945年8月17日)の短編、「赤蛙」の一部である。
この文章が頭の片隅にでもあれば、次のような珍説が飛び出す余地はなかったのである。

 ところで、「蛙が水に飛び込む音」を聴いた人がいるだろうか。/この句が読まれたのは深川であるから、私はたびたび、芭蕉庵を訪れ、隅田川や小名木川沿いを歩いて、蛙をさがした。清澄庭園には「古池や・・・」の句碑が立ち、池には蛙がいる。春の一日を清澄庭園ですごし、蛙が飛び込む音を聴こうとしたが、聴こえなかった。/蛙はいるのに飛び込む音はしない。蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うようにスルーッと水中に入っていく。/蛙が池に飛び込むのは、ヘビなどの天敵や人間に襲われそうになったときだけである。絶体絶命のときだけ、ジャンプして水中に飛び込むのである。それも音をたてずにするりと水中にもぐりこむ。/ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として「飛び込む音」を創作してしまった。世界的に有名な「古池や・・・」は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。/多くの人が「蛙が飛び込む音を聴いた」と錯覚しているのは、まず、芭蕉の句が先入観として入っているためと思われる。それほどに蛙の句は、日本人の頭にしみこんでしまった。事実よりも虚構が先行した。(嵐山光三郎『超訳芭蕉百句』pp.108-109, 2022)

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