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地図文学傑作選 補遺

『十九歳の地図』が凡百の地図ものの地平を抜いて傑出しているのは、「地図」が暴力の意思を象徴し、「支配」そのものであることを劇的に示したからである。

我々が道をみつけ、それをたどり、また戻るために、地図は必ずしも必要ない。
従来唱えられてきた「認知地図」というモデルは、「地図の進化論」に収斂する一種のイデオロギーとみなされる。

あたりまえのことだが、我々が移動する場合は、時間をともなった一連の場所(場面)記憶のつながりに依存する。
それは「内なる地図」ですらないのである。

「地図」は、ヒトの歴史における最近1万年のなかで認知の主役と見做されるようになったにすぎない。
それは、実は国家の誕生と軌跡を同じくしたと言っていいのである。

だから忘れぬうちに、前回紹介した2冊につづけて以下を付けえて加えておこう。

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『失われゆくわれわれの内なる地図 ―空間認知の隠れた役割』(マイケル・ボンド、2022年白揚社)

プラトンは、ソクラテス自身の代わりに、ソクラテスを主人公とした著作を多数ものし、今日にその言説を伝えた。
ソクラテスが書きものを残さなかった理由は、『パイドロス』の中で語られている。
ソクラテスがその知人パイドロスとの対話のなかで紹介しているのは、古いエジプトの王タモスと地方神にして発明の神にテウトの対話であるから、対話の入れ子なのだがが、それは「文字」の発明とその利害で、タモスは専らその害を指摘したのである。
すなわち「人々がこの文字というのもを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には忘れっぽい性質が植えつけられることだろう」(藤沢令夫訳『パイドロス』岩波文庫、p.164)と。

この予言は、文字のみならず記号そして地図の「発明」からはじまって、今日のデジタル世界の裏面に潜む危機にまで一直線につながる。
かつて人々は、メディアに依存しない「記憶」を基本としており、それを欠けば生き延びられなかった。
無文字社会のヒト(ホモサピエンス)の「脳力」とその記憶量は、膨大なものがあった。
地図というよりも空間に伴う膨大な記憶が、かつては個々のヒトの脳の中に蓄積された。
記号や文字そして絵や地図も、記憶の体外化を促進するものであった。
したがって、ヒトは時代が下るにしたがって「馬鹿になった」と言っても間違いではない。
その逆の例が、ヘレン・ケラーでありまた塙保己一と言えるかもしれないが、しかしその「学び」の基本は書物すなわち文字にあったと思われる。

その文字を読むスタイルの今日的変容については、以下が参考になる。

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『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳 ―「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる』(メアリアン・ウルフ、2020年インターシフト)

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