5月 23rd, 2022
「地図文学傑作選」 その11
先日知り合いの詩人に「地図文学傑作選」の話をしたら、「作者は全部男ね」と指摘された。
『話を聞かない男、地図が読めない女』のような俗論に与する気は毛頭ないが、そのタイトルの前半延長にあるレベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』(原題 Men Explain Things to Me)は、その通りと思う。
「女は地図が苦手」とはもちろんジェンダー・ステレオタイプの一種で、「社会的思い込み・思われ込み」にほかならない。
地図読み競技すなわちオリエンテーリングで、男たちを尻目にどんどん先に行く女性は一人二人ではない。
かくいう当方、長年地図を相手に仕事をしてきたのに、どういうわけかオリエンテーリングは不得手で、速さを競うことなどに無縁なソルニットの『ウォークス 歩くことの精神史』は癒される思いがして読んだものである。
さて詩人の指摘に対しては、候補選択途上の何人かの女性作家とその作品名から、とりあえず『金魚燎乱』の岡本かの子、『崩れ』の幸田文を例にあげ、考えていないわけではないが、それらは「地図文学」というよりは「地形文学」に近いため逡巡している、と言い訳したのであった。
そうなのだ、「地図」の属性の核である「権力性」の開析を女性作家の作品に求めるのは確かに難しい。
1558年にエリザベス1世が戴冠した時、英領地図の上に立っているつまりそれを踏みつけている画像があったはずだが、それに匹敵する文学作品は寡聞にして知らない。
その一方で、「場所」をひとつの主題とした作品はほかにもすぐ挙げることができる。
矢田津世子の『神楽坂』は第3回芥川賞候補作(1936年)となった短編で、鴎外の『雁』と同じく高利貸しとその妾の話だが、現在の大久保通りを境としたケとハレの空間対比がストーリー全体の構図におよんでいる点が地図文学の資格たりえる。
さらに直截に『場所』というタイトルは、2021年11月に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴の短編集である。2001年に第54回野間文芸賞を受けたが、郷里の墓地訪問から出家直前までの作者の足跡を顧みた14編で、とりわけ最後の「本郷壱岐坂」が井上光晴との死別を描いて感慨深い。
タイトルに「地図」がつく女性作家作品の代表として、佐多稲子の『私の東京地図』と須賀敦子の『地図のない道』がある。
これらは瀬戸内の作同様「回想」であるが、両者とも文庫本として流通していまだ手に入りやすい。「地図文学傑作選」では解説に触れておくだけとなろう。
「回想」で想起するのは、石井桃子の『幼(おさな)ものがたり』である。
2007年4月に101歳で亡くなった石井は日本児童文学における巨星の一人と言ってもいいと思われるが、中山道は浦和宿の金物屋の末っ子として誕生した。その幼時の思い出なのだが、そのなかでもとくに「大水」そして「スミレ」の項が忘れがたい印象を残す。
この作品については『「幼ものがたり」探査 ―浦和・中山道の端で』(並木せつ子、2015年)という解説(?)冊子まで存在する。その巻末に私が貼り付けた手書き地図(並木作)の複写は、銀座のナルニア国で購入したときにもらったのだったか。
石井の幼時回想は全体が300ページを超すが、その地図を添えて「大水」と「スミレ」を中心に抄録できればと夢想する。
地図付きの自伝は大岡昇平の『幼年』『少年』が著名で、大岡の地理考証には定評があるが、これらも世に普及している作品でしかも著者は男性である。
女性の地図付き回想では、石牟礼道子の「水俣の栄町での日々」も捨てがたい。
『石牟礼道子全集 不知火』別巻自伝(2014年)のpp.10-11には「自筆絵地図」「わたしの栄町通り」が掲げられているが、1927年3月の誕生の地は天草上島の下浦だから、選集に入れるとすれば地図に対応するp.18の「花売りの声で夜が明けた」から「鍛冶屋と染め屋」のp.26までか。
これらに対して、地図を掲げずしかも記述はすべて平仮名、文庫本で17ページにわたる生育の地の回想詩は、伊藤比呂美の「岩の坂」(1982年、『子どもの館』2月号)である。
いきなり「かんななをつっきる」でスタートして、「きゅうなかせんどうはいわのさかをのぼりそれからさきは/こくどう十七ごうせん(なかせんどう)と/こうさしたりへいこうにはしったり/からみつくようにつづいている」で終わる。
「そうぎや」「のみや」「くすりや」「おちゃや」「たばこや」「でんきや」「さぎょうふくや」「こめや」「こうばん」「おふろや」「げしゅくや」、そして「さかのひだりがわにえんきりえのき」なのである。
これは、読む者に地図を描くことを強要しているのかも知れない。
伊藤と親しい平田俊子の「ひ・と・び・と」全34行(アキを含む)は「あなたの生まれた町の/地図を描いてください/いつかいっしょに行けたらいいね」という3行を含み珍しく毒気も傷も露出の少ない詩なのだが、もし「岩の坂」が地図付きであったとしたら、むしろ詩のもつ疾走感は減殺されたと思われる。