あまたのビックリ本は措くとして、「早稲田」本(『土地の記憶から読み解く 早稲田 江戸・東京のなかの小宇宙』)については腰痛「自宅療養中」つれづれの余り、女房に図書館から借出してもらってひととおり読んでみた。
それで了解したのは、この本は「勉強しましたノート」であるということであった。

もちろん、著者による早稲田という「場所」についての勉強である。
さすがに「教授」だけあって、巻末の日本語文献だけで109も挙げてある。
しかしそれは玉石混交、しかももっとも基礎にあるべき文献が見事に欠落しているのである。誰も助言する者がいなかったのか、意図的あるいは無意識に排除されたのか。

巻頭には陣内秀信の「読書案内」が掲げられ、そこで陣内は「この四〇年ほどの間に展開した多様な学問・文化領域にまたがる江戸東京論の系譜のなかに、大きな一石を投じる極めて重要な著作」や「早稲田という限定された地域の「ミクロヒストリー」を論じつつ、それを江戸東京の「マクロヒストリー」という大文字の歴史に生き生きと連動させる知的で巧妙な仕掛けが組み込まれているのが凄い」と大仰に褒めちぎり、挙句の果ては「これまで眠っていた早稲田とその周辺の歴史・文化のトポスを魅力的に描いた本書は、単なるローカルな地誌なのではなく、日本の都市を叙述する上での普遍性をもつ雛形と言えるのである」とまでウケ持ち上げているが、そんなことはない。
言うならば、これまでの「江戸東京学」のほぼ埒外にあった場所が外国人学者によって取り上げられ、一冊の書きものとなって紹介され、その「学」に連なったらしい、以上の意義は見いだせない。

さらに言えば、読者は著者が勉強し紹介してくれるかぎりにおいて知らなかったことも教えられることもあるのだが、いかんせんそれがどうしたで終わってしまう。著者のオリジナリティ、言い換えれば勉強とその紹介以上の問題意識も、卓見や創見も見当たらないのは、著者の能力と人柄が良すぎるためであろう。
つまり早稲田という空間と時間そして事象、またそこに身を置いた自らをも対象化(クリティシズム)できていないのである。

ローマで愛車を走らせていた著者は、ヴェネツィアで「歩く」営みに目覚め、陣内に教わって「地形の意味」の視点を得たと書いているが、それがことばの上滑りに終わっているのは、この本にでてくる地形用語が「低地」と「台地」そして「目白台地」しかないことにも表れている。早稲田の地形は単純ではない。それらの語だけでは片づけられないのである。また「目白台地」は実は地形学用語でもない。

この冒頭でも触れたが、致命的なのは地域の歴史や地形に関しての基礎文献である「区史」がまったく参照されていない点にある。それは単純で粗雑な「地形」の記述からも明白である。
早稲田は北に位置する文京区に接するとはいえ、新宿区に所属する。
かつては牛込区の一部であった。
その基本書誌は以下の通りである。
『牛込区史』(1930)、『新宿区史』(1955)、『新修新宿区史』(1967)、『区立三〇周年記念 新宿区史』(1978)、『区立四〇周年 新宿区史』(1988)、『区立五〇周年 新宿区史』(全2巻、1998)。
これらのほかに、「資料編」や簡便な「あゆみ」もあるがそれは省略する。

この本は「ミクロコスモス」と「マクロコスモス」を短絡させて、「メソコスモス」を無視したともいえる。
ともかくも歴史については文句なく各区史や市史の類が、地形や自然環境に関しても凡百の単行本は無視して、まずそれが基本として参照されるべきなのだが、「江戸東京学」に典型的な雑学(百貨店的「小宇宙」!)に流れてしまったのである。

地形にかかわり神田川が取り上げられているのはいいとしても、その言説の多くがずっと下流の平川の流路変遷(しかも「太田道灌」!)に費やされ、早稲田地域を流れるそれの流路変遷と改修には一言も触れていない。叙述が千代田区や中央区にかかわる平川に飛んでしまうのが「マクロヒストリー」と言うなら笑止のほかない。
訳者は「日本の読者を想定したときの記述内容の相応しさという観点から、訳文の検討を要する箇所が散見された。こうした部分については、日本の最新の研究の動向を参照しながら(略)必要に応じて加筆・修正を行い」とあとがきに書いているが、それでいてとうの昔に「検定済教科書」からも削除された「士農工商」を堂々と掲げているのだからこれまたお里が知れる。

そうしたあちこちの「不都合」はさておき、この著者は早稲田地域の神田川沿いを歩き、その水がかつては水田灌漑に用いられたということに不思議は感じなかったのだろうか。
明暦の大火も関東地震の被災も免れた早稲田地区を含む新宿区域の都市史上の最大の景観変容は、この本で強調されている参勤交代や大名屋敷の改廃などではなく、近代の宅地化と第二次大戦下の空襲そして現代の「ビル化」をもって画期とする。そのうち宅地化と神田川のシフトは即自的な関係にある。
早稲田地区の景観変容は、アンソロポシーン移行すなわち地表の人新世シフトと軌を一にするのである。いま地域のミクロと同時にマクロを云々するなら、現生ホモサピエンスのフットプリントを対象化する視座は不可欠であろう。

鈴木理生は『図説江戸東京川と水辺の事典』(2003)において神田川の現河床がきわめて低いことを指摘した。
つまり元来そのような河川であれば、水田灌漑は不可能なのである。
鈴木はそれが河川改修つまり蛇行していた河流の直線化(ショートカット)に起因するとし、「ベルヌーイの定理」で説明した。
しかしそれは誤りであった。
神田川は井の頭池を水源とする台地河川で流量少なく、下方侵食がそもそも可能ではない。
現在の神田川の姿は都市化(住宅地化)に対応した人為、つまり洪水対策の河川改修、すなわち蛇行の直線化と河床の低下掘削工事の結果であった。

結論から言えばこの本が開陳しているのは著者によって意識的にないし無意識的に選択された都市の一側面、陽のあたった坂道物語であり、ダークマターやブラックホールをも視野に含む「小宇宙」などではなかったのである。

このビックリ本のビックリである所以は、考察のショートすなわちオリジナルなそれが少ないことと短絡、そしてクリティシズムの欠落した資料選択とその読みにある。
それでも近頃氾濫する街歩きや地形に関するドリンク(ドングリ?)本とは異なり、地域の表面に散らばる物語をかきあつめて、ともかくも咀嚼したという腹応えだけは感じられるだろう。

Comments RSS

Leave a Reply