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麻布「がま池」の正体

「芝道」については書かなければいけないことをまだ残しているが、忘れないうちに東京都港区元麻布二丁目の「がま池」について記しておく。

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上掲は参謀本部陸軍部測量局「東京府武蔵国麻布区永坂町及坂下町近傍」および「東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊島郡下渋谷村近傍」(いずれも1883年:明治16測図)の一部。図の下辺中央の道交差部は「仙台坂上」で坂は右(東北東)に下る。左下の三角形は現港区立有栖川宮記念公園の角地。等高線を見れば道はここではすべて尾根道で、「蝦池」は一の橋に下る古川の一支流の、W字型をした谷頭部の一つを堰き止めてつくられた人工池であったことがわかる。「蝦池」を堰き止めた土手の北には「水」とありそこは水田である。水田の東側に「蘆」(アシ)の字が記入された草色の細長い区画があるが、その一部は現「宮村児童公園」として残されている。

水田の中に破線が走り、小さな丸印が描かれているが、それは測線と水準測量点を記したものである。しかし拡大しても水準点に添えられた数字を読み取ることは不可能である。これら数字のみならず描図要素すべてが拡大に耐え得ない。デジタル化(東京時層地図)にあたって原図とした複製印刷図が高精細でなかったことに主因があるのだが、この図群は「地図の宝石」(前田愛)とまで言われた近代初期測量地図の傑作でもあり、まことに残念と言わざるを得ない。地図の複製印刷およびデジタル化の「悪例」として指摘しておく。

さて、都内の「池」について概観すると、「不忍池」は都内に存在する自然の池の代表で、縄文海進による侵食(海成段丘の形成)と堆積(侵食された土砂の砂州化)による河口(古石神井川)閉塞によって形成された(松田磐余『対話で学ぶ 江戸東京・横浜の地形』2013)。

自然の池に対して人工の池が存在するが、実は都内の公園の池の多くはそれであって、例えば東大本郷キャンパスの三四郎池や新宿御苑の玉藻池は旧大名庭園に由来し、堤を築いて谷地を閉塞するか(玉藻池)、段丘面を掘り窪めて湧水を溜めるか(三四郎池)、海面の埋立を一部残すもしくは埋立後の掘り込みで汐入の池とする(芝離宮・浜離宮)か、いずれかの方法で造成されたものである。

そうして形成時期は自然の池ほどは遡らないものの、大名庭園よりもさらに古い人工の池というものがあって、それは溜池である。
近代初期に埋め立てられ地名にのみ残る現千代田区の「溜池」は、近世初期の上水水源として鮫ヶ橋谷などの開析谷から下る水流を堰き止めてつくられたダムであった。

麻布の「がま池」も実はダムなのだが、その本来の姿は水田灌漑用の溜池である。池の造成には江戸以前および江戸初期の耕作者(百姓)の切実な願望が存在したのであって、それは例えば麻布七不思議がま池伝説の「どのような日照りでも涸れることがない」という一節に反映されている。がま池は、麻布台地を開析した谷のさらにその支谷の谷頭部に堤を築いて近世初期に造作されたのである。

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そのことを物語る近世初期図を、ひとつだけ掲げておこう。上は「寛永江戸全図」(寛永19:1642年頃)の一部である。右下に見える水流は古川の二之橋付近で、両岸部はすべて水田、支谷の谷頭まで水田である。後の仙台坂の道が破損欠落しているが、中央右下寄りに「全(善)福寺」、左手「浅野内匠頭」とあるのは後の南部藩下屋敷で現在の有栖川宮記念公園だが、それと「柳生但馬守下屋敷」との間の二又の谷(水田)のうち小さな「百姓地」の文字の足元の谷頭部が「がま池以前」の姿である。

近世初期の人工地形でかなり埋立てがすすんだとは言え、「池」は都心高級住宅密集地に遺された貴重な自然である。私有のマンション敷地として囲い込まれてしまったのは、行政の怠慢とも、なさけなさとも言える。かつては隣接した敷地の駐車場からその水面を垣間見ることができたが、いまはそれもかなわない。駐車場が敷地目一杯のコンクリート邸宅に変わったからである。

この近世のダムの土手(築堤)上には、人材派遣会社パソナの’迎賓館’と言われ、時に黒塗りの大型車が並ぶ「仁風林」が鎮座している。政財界の隠微な疑惑の場としてしばしば噂に挙がるところだが、何の因縁かその入口脇にがま池怪奇話説明板がぴったりと寄り添っている。
その説明板冒頭の「江戸時代には」というくだりだが、「江戸時代末期には」とでもしないと正しいとは言えない。江戸時代とは、蒸気鉄道の敷設(1872)から核反応施設爆発(2011)までの近・現代約140年間よりよほど長い、約260年スパンをもっていたのであって、そのなかでとりわけ江戸の市街変容は大きかったのである。

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