10月 23rd, 2020
二枚橋 その9
話が前後してしまうが、その7で掲載をしておくべきであった地図を以下に掲げる。
その7で挙げた東京都建設局による1953年の都市計画図にほぼ対応する範囲の、「1:2500 東京都地形図 26-15 国分寺」(2015年度版)の一部である。
約60年の間隔をおく両者を比較すると、旧岩崎別邸の南端部と西北部が切り売りされ、西南部は公園(夜間閉鎖される庭園ではなく、一般開放公園)とされていたことがわかる。
馬頭観音の石塔の位置は、上掲図の「殿ヶ谷戸庭園」という文字の「谷戸」の中間で小径が南側に撓んだ先である。なお、現在は「ヶ谷」の文字が掛かる小径は存在せず、馬頭観音の石塔のところで途切れていて旧本館(現管理事務所)に向かうことはできない。
「谷」の文字の上に丸みを帯びた逆凸型の記号が見えるが、この図の凡例によればそれは「園庭」をあらわす。実際にはここには芝生の広場がひろがっているのであるが、コース入口からそこを横切り次郎弁天池に至る最短経路は、1975年の整備工事の際に廃止されたという(住吉𣳾男『殿ヶ谷戸庭園』)。そうだとすれば、その結果がこの地図に反映されていないのは、園内路については旧図ないし旧資料をそのまま用い、調査や更新がおこなわれなかった可能性がある。
結局のところ馬頭観音は庭園の中央の段丘面上にありながら回遊コースから外され、開析谷の途中から谷壁斜面に設けられた段を上って至る、もっとも奥まった場所とされたのである。
上の写真は現在の殿ヶ谷戸庭園内馬頭観音石塔への道標と坂道。この道標から、急斜面に設けられた木製土留めの階段51段を上って石塔に至る。身体すなわち目の高さを使った簡易水準測量では、道標と石塔の高低差は約9メートルである。
ネット上などでは、国分寺市の説明をはじめとしてこの庭園を「国分寺崖線の南側斜面を利用し、湧水と植生を巧みに生かした回遊式林泉庭園」と説明しているのがほとんどだが、地形学的にはそれは誤りで、この庭園は国分寺崖線の段丘崖斜面にかかるものではない。
「国分寺崖線」の構造とその形成過程が理解されていないため、誤認が流布している。
段丘崖のあちこちからは湧き水が流れ出るが、それは段丘崖すなわち国分寺崖線が形成されて後のことである。
湧き水のいくつかは湧出口の上層を崩落させ、崖壁の谷頭侵食を開始する。
本来の「ハケ」とは、この段丘崖からの湧水とその初期侵食地形の謂いである。
その多くは段丘崖を直角に切り込む小さな谷となる。さらにいくつかの谷は成長していく。
そのひとつの谷の谷壁斜面を利用したのがこの庭園である。
つまり、形成史的には国分寺崖線と開析谷の間には何万年という時間差が存在し、かつ構造としても傾斜の方位、傾斜角およびその深度(高低差)は異なり、この斜面は段丘崖(国分寺崖線)とはまったく別ものなのである。