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二枚橋 その4

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「二枚橋」という橋名はすこし調べただけでも、埼玉県戸田市や静岡県御殿場市にも存在し、江戸川区の南小岩にはバス停の名として残されている。

上の写真は川崎市麻生区高石の「二枚橋」で五反田川の支流に架かり、津久井道が走る至近に所在する。
ご覧のように古代末期の義経・弁慶伝説を伴い、町会が独自にそれを公示している。

伝説を「荒唐無稽」や「つくり話」などと言って一方的に否定するのは適切ではない。伝説が言わんとしているのは話の全体ではなく、一片の真実だからである。義経・弁慶はさておき、この場合伝えんとするところは橋が大変に古くからあり、またそれが架かっていた古街道が遠く奥州にもつながるものであった、ということなのである。
柳田国男は「伝説」の特徴として、「必ず一定の土地または事物に固着」し、それを「発生せしむる社會上の原因が無ければなら」ず、「英雄は單にある種の傳説の古さ貴さを確保すべく、次々に招き請ぜられるのが普通であった」と書いている(「傳説」『定本 柳田國男集26』1964年)。ここはそれにあてはまる典型例のひとつである。

そうしてこの川崎二枚橋を通る南北道は、かつては矢野口の渡しで多摩川を渡った「鎌倉道」のひとつで、小金井の二枚橋もその経路の一部であった可能性が示唆されているのである(藤原良章『中世のみちと都市』日本史リブレット、2005年)。

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