前回「出来はよくない」と言ったのは、苦心惨憺しても情景を適切に構成し得ないからだが、一方では「音」の選択と排列に満足を得ていないからでもある。
31音(短歌)部に限定し、ローマ字表記にして見ると、「アブラナハーー」の音は

aburanawa kinotadanakani hashiariki dotenokodakaki nawatachimachiki

と第2句目から4句目の末尾の母音がすべて i、しかも第3句から第5句の尾音節はみな ki 音で揃えている。
つまり1首5句中、第3、4、5句で韻を踏んでいるのである。

また全体を通して使われているもっとも多い母音は a で16、次に多いのは i 母音 で9、それぞれ63文字中25パーセント、14パーセント強を占める。
しかしながら、この1首中もっとも強い音韻上のアクセントは2句首部におかれた ki にあって、それは音のみならず、文字(漢字)としてもカラーイメージとしても、もっとも強烈に全体を統御している。
最多 a 母音は、喉を拡げ外に向かう強い外向性をもつ。すなわち対象へのデザィアを象徴し、次に多い i はその反対向きのベクトルを特徴として、閉じ、制止する。未知の領域へ踏み出す恐れを反映した母音である。
憧憬の下に不安が盤踞している、幼い恋情のかたちを描きえたと思う。

こうした音韻上の細工は「愉しかりしーー」の場合、第3句目の末尾「消ゆ」と第5句末尾の「梅雨(つゆ)」で押韻したこと、また第4句頭と第5句末に連続する u 母音を置いたことである。
u 母音はくぐもり、停滞性を暗示する。長雨のなか、消失した時間と空間の間に佇む抒情を表わし得たとは言えるだろう。
しかし「アブラナハーー」の a 母音とそれを制動する i 母音、そして ki 音連打のリズムには到底及ばないのである。

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