5月 14th, 2020
回帰線 その3
前回とり挙げた最終章の一部の室訳と川田訳比較では、まず章タイトルの「チョン」と「チャウン」の違いが目立つ。
「チョン」よりは「チャウン」のほうがそれらしく思われるが、知人の教示によって確認しえた原文の章タイトルはVISITE AU KYONGである。
グーグルマップでチッタゴンの範囲をしらべると、KYONGは見あたらないがChinkyongの地名は確認できる。
ChinkyongとKYONGの関係がどのようなものか、仮にChinkyongがKYONGにあたるとしても、いまそこに旧ビルマ系住民や仏教寺院の存在をみとめることができるのかどうかは、不明というほかない。
ミャンマー(旧称ビルマ)とバングラデシュが隣り合うエリアの仏教系とイスラム系住民の抗争は、イギリス植民地時代に端を発し、旧日本軍の侵入もそれに輪をかけ、現在のロヒンギャ難民問題にまで直結しているからである。
さて、とり挙げたところは比較的理解し易い箇所で、両訳もそれほど違いは目立たない。
しかし部分的にみると、ともに難解であったり、一方が文字通りの拙訳と思われるところが指摘できる。
前者の例は次の個所である。
「すべて根本的な批判に帰着するが、人類は批判が永久に可能であることを示すはずがないので、批判の窮極において、仏教は物と存在の意味との拒否として悟るのである。」(室訳)
「そこでは、すべては一つの根源的な批判に還元される。人間は、その批判の力が自分に具わっていると主張することがもう永久にできないとされているので、批判の果てに、聖賢が事物と人間の意味の拒否へと道を拓いてくれる。」(川田訳)
後者の例は、
「結局、精神と、迷信も生命を吹き込むことのできなかった亡霊とは、すでにあまりにも現実的な祭司たちにとって代られ、彼らはこの下界の圧しひしぐ重みに、さらに天界の重みを加えて、天国の一手販売を許される。」(室訳)
「結局のところ人は、迷信も生命を与えることができなかった精霊や幽霊を、すでに現実的すぎるほど現実的な師たちで置き換えたのである。その上、この師たちに人は来世の専売権を認め、その結果、すでに圧倒的なこの世の重みに、さらに来世の重みをも付け加えたのである。」(川田訳)
こうした対比から、川田訳が訳者自らが理解し、さらに読者の理解を促そうと努力工夫している様子はたしかにみとめることができる。
川田順三(1934―)訳は着手から完成まで12年が過ぎてしまったという。その完訳本は中央公論社から1977年に上下2冊としてリリースされたが、実はそれに先立つこと10年前の1967年、「世界の名著」シリーズ第59巻に全体の半分以下ではあるものの川田の初期訳が収録されていた。
一方室淳介(1918-2000)訳は、大日本雄弁会講談社からシリーズ「世界の人間記録」の1冊として1957年に刊行された単行本(278p 図版14p)が最初であるが、それは全体の3分の2ほどでしかなかった。この版は筑摩書房の「世界ノンフィクション全集」の1冊(第4)に「カチン族の首かご」などとともに抄録(第7部「ナムビクワラ族」全6章のうち5章、1960年)された。
1985年に文庫本化されたものの訳者あとがきによれば、室完訳本は1971年に刊行されたらしい(未確認)。
いま、室訳の講談社学術文庫2分冊に対して、川田訳は中公クラシックスの新書判(2001年、2分冊)で読むことができる。