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悲しい運動会

大型台風直撃のために延期や中止となった運動会のことではない。
先般たまたま近隣の小学校の運動会練習風景に遭遇し、思わず目を背けたからである。

芝生の校庭で、運動着という制服を着た大勢の子どもたちが、音楽や号令に合わせて整然と体を動かしている。
何人かの先生がそれを取り囲んで見ている、というより監視している。
ただそれだけであるが、こんな光景のなかに私の過去があったと気付いた。

「運動会」は過去には植民地にも強制したかも知れないが、いまでは日本列島でしか実施されることのない、地球上のアナクロ教育・社会行事である。
いや、北朝鮮などのお得意「マスゲーム」が、ご同類動員行事の例として挙げることができるかも知れない。
この列島においては、初等公教育の従事者(教諭)たちがブラック企業以上の労働環境にあっても、旧態依然たる運動会や学芸会等の「行事」遂行はなお墨守されるのである。

大災害時の地域住民の避難所がおもに学校であり、その体育館とされるのは、19世紀以来の初等公教育を拠点とする中央集権地域動員国家の名残りである。それは上意下達国家体制の残滓である。

運動会から子どもや教師を解き放つことと、体育館や廊下から避難者を救済すること、下意上達体制をつくりあげることは同義なのである。

2 Responses to “悲しい運動会”

  1. 岩内 省on 13 10月 2018 at 10:00:35

    芳賀様、
    何が運動会を呪詛する学兄の原風景なのか文面からは詳らかにしませんが、関連情報です。
    偶々昨夜ぼんやりNHKの(以下、記憶によるため、語句・表記等不正確)「チコちゃんに叱られる」という番組を眺めていたら、運動会の起源がテーマになっていました。明治初期、軍人教育は座学に偏していて、体を動かすことの少ない事態を警告したドイツ人の勧告がきっかけで、海軍兵学校で始まったということです。現在のラジオ体操の祖型になるのか、兵式体操というのに森有礼文相が着目して学校教育に導入したのが学校運動会の淵源だとか。その後バラエティ番組よろしく「位置について、よ~い、ドンッ!」というかけっこのか。け声の事始めなどを紹介していました。
    私の関心を惹いたのは明治初期、スポーツという概念がなく、そうすると「百米走」という種目名がどうして想起できず、、「スズメノスダチ」と称していたとか、翻訳に絡むことばの事情でしたが、貴兄には学校教育を典型に日本社会に牢固として組み込まれている全体主義の社会精神史でしょうから、ぜひ再放送を見てください。大学教授連のウンチクも拝聴できます。あ、テレビ無いんでしたっけ? それなら私が再視聴してもう少し正確な情報を報告しましょうか。

    追記: 文中「ブラック企業以上の労働環境」という記述がありますが、フツーは「以下」でしょう(笑)。

  2. 岩内 省on 14 10月 2018 at 9:41:23

    芳賀様、
    約束した再放送見逃しました。見逃したサカナは小さかったと思います。
    記憶をたどって少し調べてみると、この分野については中京大名誉教授の木村吉次が精力的に調べているようです。青弓社から吉見俊哉らと共著で『運動会と日本近代』という著書も出しているようです。以上。

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