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笹子峠 その4

この場所は、1891年(明治24)すなわち127年前の2万分の1地形図「勝沼」によれば以下の通りである。

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北西から南東に走るのは甲州街道で、二条線で縁取られたその記号は「国道」である。そうして図の右下、現在「御野立所跡」碑のある場所には、四角の家屋記号が4つ認められる。
『明治天皇紀』には、「十九日 肩輿に御して笹子を発し、約十町にして笹子山麓に達したまふ、登ること二十余町にして中ノ茶屋に御野立所あり、縣官富士山の雪を献る」とある。ここは国道沿いの峠(下)の茶屋、それも「中ノ茶屋」であった。

この図では不鮮明であるが、現行地形図と対照すれば判るように甲州街道はおもに新田沢の左岸を通る。左右岸の斜面植生は左岸では「荒地」、右岸では「雑樹林」の記号が用いられている(記号は明治24年式ではなく、仮製図式である)。小さな正方形の中に点がひとつの記号は水準標(水準点)で数字は標高を示す。
また図の左上、道の北に沿って「電線記号」が見える。この記号は仮製図式特有の、両側に逆向きの片矢尻の付いた短線、またはZを横にして引き延ばしたような特徴的な形をしている。ここは喘ぎつつ上る(もしくは疾々と下る)純然たる山道であるが、ミチは国道で電気時代の幕開け時には電線が敷設されたのである。だからと言って、夜になれば茶屋に電灯が点ったわけではない。

『明治天皇紀』には記載が一切省かれているが、上掲図でもっとも目立つのは、「御野立所」からさらに150メートルほど上ったところの「矢立杉」(現行地形図では「矢立の杉」)である。

矢立杉とは、当該地点に設置されている山梨県教育委員会の説明板によれば、「県指定天然記念物/笹子峠の矢立のスギ/所在地 山梨県大月市笹子町大字黒野田字笹子1924の1/種類 スギ/指定 昭和35年11月7日/所有 山梨県/このスギは昔から有名なもので、昔の武者が出陣にあたって、矢をこのスギにうちたてて、武運を祈ったところから「矢立のスギ」と呼ばれてきたものである。/そのような名木であるうえに巨樹であるために、県指定天然記念物にされているものである。/その規模は次のようである/根廻り幹囲 14.80メートル/目通り幹囲 9.00メートル/樹高 約26.50メートル/幹は地上約21.50メートルで折れ樹幹中は空洞になっている。/昭和50年10月」という。
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矢立の杉 2018年1月16日撮影

「昔から有名」というがいつ頃からなのか、文献を示すのが難しければせめて推定樹齢を示してくれればいいのだが、環境省自然環境局の「巨樹・巨木林調査」では地上130センチメートルで幹囲が3メートル以上あるものを巨樹としているから、このスギは文句なく巨樹である。そうして笹子峠下約850メートル(峠からの標高差約170メートル)にあるこの巨樹は甲州街道の著名なランドマークのひとつであり、おそらく「茶屋」よりもよほど古いのである。またおそらくは、随行者のひとりが輿上の人物にこのスギについて幾許かの「御進講」を行ったに相違ないのである。

ところで現行地図に鮮明であるように、このスギは新田沢主流の「攻撃斜面」に位置している。
127年前の地形図では、矢立杉の位置はそのポイントを示していないが、水準標のすぐ北西隣、甲州街道(国道)の北沿いであることは確実である。
つまりそれらの立地を北から言い立てれば、新田沢北斜面、矢立杉、甲州街道、新田沢谷底、の順になる。

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