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笹子峠 その3

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「明治天皇御野立所跡」碑付近。2018年1月16日午後3時頃撮影

沢沿いというか崖沿いの細道を上っていくと、思わぬ開けた場所に出くわす。
人家跡、それも複数の人家跡と思われるところで、写真の右手奥には当該石碑、やや離れたところに比較的最近設置されたらしいステンレスの説明板が立っている。

説明板曰く「顕彰の記/過ぐる明治十三年六月十九日大帝本縣御巡幸に際し、畏れ多くも此の地天野治兵衛家に御野立あらせられ 聖蹟を永久に残させ給へりと雖も 時代の変遷と文化の発達による中央線の開通は 此の地を過ぐる者をして絶無ならしめ 為めに聖蹟も又口碑に傳ふるに過ぎざりき/聖蹟の主 天野治兵衛氏/之を慨嘆する事多年其の効空しからず 陸軍大将菱刈閣下の御揮毫を得て 記念碑を建立し以て之を永久に傳へんとす/昭和十二年十一月七日/*明治天皇御野立所記念碑除幕式における/笹子村村長天野五六様祝辞より抜粋」と。

またもや天野氏である。
そうして、弊屋、御野立といえども、やはり名誉なのである。
この地点は、現行の2万5千分の1地形図「笹子」(2016年調整)では以下のように表わされる。
すなわち右下の水準点899メートルのすぐ左上(北西)、チビたクレヨンのような記念碑記号の場所である。
記念碑記号前の黒い破線は「徒歩道」、ヘアピンカーブの二条線は「2車線幅員13m未満」の道路を示している。水流に直角に描き込まれた二重の短線(上流側は破線)は「せき」(堰)を示し、ここではすべて砂防施設(小規模ダム)と推測される。

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