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あらすじ演習  summary training

「歩く・読む・書く」と「知の基層」
〝石の上にも3年〟は人口に膾炙した諺だが、当方の場合3年目にしてようやく自分なりの方法がつかめたかな、というのが正直なところである。大学での授業の話である。在籍したことはあるものの、授業にはほとんど出席することなくそのまま出てしまったものだから、そもそも大学の授業とはどんなものだったかあまり記憶にない。

その後の行きがかり上、出版のなかでおもに古い地図に関わる仕事をしてきた。この間の経緯は、本にも書き(註1)、別の本の出版を契機としたラジオ番組で30分ほど話をしたことがある(註2)から省略するが、いずれにしても地図や古地図、地形や古環境を相手としてきたため、社会教育の場ではよく話をする機会を与えられ、またある大学の公開講座で10年近く毎月屋外講座の講師もつとめてきた。しかし正式に大学の教員になるとは思ってもいなかった。

当時東京経済大学コミュニケーション学部の学部長をされていた川浦康至先生から、客員教授へのお声掛をいただいた。少し考えて、学生というよりは自分の学びの機会とかんがえて請けることにした。担当する授業タイトルには〈歩く・読む・書く〉を冠した。これは特別講座一コマのためのものだったが、その後思い直して私の3講座(表現と批評、地域文化論、地図のメディア学)すべての主旨とした。着任したのは3年前の春である。研究室の机の引き出しを開けると、残っていた書類がいくつかみつかった。それで前任者は春風亭柳橋(八代目)さんだとわかった。「日本語ワークショップ」ほかを担当されていた。

招聘にあたっては、授業の3分の1以上は学生を屋外に連れ出してほしいと依頼され、そのために二コマ3時間続きの講座を、年間を通じて担当することになった。その結果学生から「お散歩の授業」「散歩の先生」と言われるようになった。そのこと自体は悪いことではないのだが、当初それがどれだけ学生の根源的な「学び」に結びついているかどうか、疑問でもあった。

だから2年目からは3講座すべての授業の最初に自学用「課題図書リスト」を示し、授業の履修内容とその週読んだ本の計二種類のレポートを手書きで毎回提出することを課し、当方はそれに赤字と評価ポイントを記入して返却しつつ次の授業に生かし、またポイントを積算して期末の成績評価とすることにしたのである。「歩く」はいいとして、「読む・書く」を恒常的な課題とすることで、前任者の仕事の一端を引き継ぎ、また「表現と批評」の前提となる「知の基層」を養成したいと考えたからである。

ネット時代の読書と「あらすじ演習」
「課題図書リスト」は、《大学生でも、大人でも「基礎読書200」》として示した(註3)。そこに示されたA・B・Cそれぞれの枠から一学期内に最低四冊、計12冊を選んで毎回レポートを書き、また授業でも「発表」してもらうのだが、そのうちいろいろな問題点が見えてきた。ひとつの例を挙げれば、レポートに書かれた「あらすじ」が似ているか共通するという点である。これはネット社会の功罪の罪の側面であって、疑いだせば本当に本を読んできたのかどうかも怪しくなる。ネット時代は、「読書感想」すら容易に他人の言葉を借用し得るし、そもそもネットに充満する情報そのものが真偽玉石混淆である。

あらすじ書きは、結構な頭脳労働である。だから本を読んだとしても既成のものに寄りかかりたくなるのだがそれでは「学習」にならないし、虚偽を再生産することもある。逆に言えば、あらすじを書く行為は、それが自力で行われる場合は、結構な頭脳のウェイトトレーニングになり得るということである。
こうして「あらすじ演習」summary trainingは開始された。すなわち毎回、数十分で読み切れると思われる短篇の全部ないし長編の一部を選び、その場で読んでもらって、400字詰め原稿用紙にあらすじを書いてもらうのである。その前に、あらすじとは何か、どんな種類があるか、どのように書くべきか、といった概論とガイドラインを示しておく。あらすじは出来た順から見せてもらい、それを返しつつ全員書き終えた頃にセクションごとに検討する、という手順である。時間がなくて、あらすじ書きを回収するだけ、または次回提出、という場合もあるが、この時ばかりは書かれたものは千差万別である。

このあらすじ演習は、小学校の「朝読」(朝の読書運動)にヒントを得たもので、いまどきの大学生は小学生よりも本を読まない、という定説を逆応用したものだが、20歳になろうかという学生たちがその場で読んで、それなりに「学び」「感じ」てもらうテキストに定番があるわけでもなく、季節や前回次回の授業との関連も考えるとそれを選ぶのはなかなかに難しい。言うまでもないが、長篇のあらすじの書き方と短篇のそれとは異なるのである。しかしまた、短篇から発して、関連する文献や地図、映像作品などを授業に用いる場合もある。それらがうまく結び付いた展開となったときは学生の反応も浅くない。

さて、ネット社会であるからこそ「読書」は〝教育として不可欠〟であり、モノとしての「1冊」の本を手に取って読む、という行為は「教授」されなければならないと考えている。「基礎読書200」のリストはさらに精選加除して《基礎読書100》として更新した。

授業時間内に読んで書く「あらすじ演習」と、このリストから選んで授業時間外に読みレポートしてもらう「1冊読み」とは、いわば車の両輪である。そうしてこの〝大学生の読書教育〟は試行錯誤の途上であり、つまりは始まったばかりなのである。

註1 芳賀啓『地図・場所・記憶』2010年5月初版、けやき出版。
註2 ラジオ番組は、2013年9月22日放送、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」ゲストdeダバダのコーナー。その契機となった本は『古地図で読み解く 江戸東京地形の謎』(2013年7月、二見書房刊)。
註3 芳賀ひらく「大学生の読書スタート」『季刊Collegio』No62、2016年夏号。

(『季刊Collegio』No.65、2017年夏号) 

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