偶然のなりゆきから出版と地図の世界に入りこんで44年、その延長に近年「お散歩の先生」や「崖博士」といった渾名を頂戴するに至ったのですが、元来研究者でもなく、数冊の著作はあるものの学術書とも言えずエンターテイメントでもなし、諸雑誌への連載や寄稿、書評もどちらかといえばエッセイの類でしょう。

しかしながらこれまた思いもかけず本学教員の末席に連なって、はや2年半目。さらなるサプライズは当コラム二番手として堺学長のご指名を頂戴したこと。そろそろ自分の「研究」をきちんとまとめなさいという督励でしょうか。

とまれ、私の「研究」らしき痕跡は、日本国際地図学会(現日本地図学会)機関誌『地図』に「東京の旧版大縮尺地図とその利用について」を報告(Vol.43,2005)、同誌に「地図と古地図の狭間」と題した特別講演記録(Vol.49-2,2011)が掲載、さらには「井上ひさし氏にみる作家の方法 ―地図・年表・名鑑」という短報を投じた(Vol.49-1,2011)程度です。

一方、2016年朝倉書店から刊行予定の『地図の事典』への執筆依頼が、同学会会長森田喬さん以下何人かの編集委員の連名で届いたのはたしか2014年の秋頃だったと思います。その全体構成や項目一覧があまり感心したものではなかったので「本が出来たら書評を書くから」と一旦は断ったものの、結局「想像地図」「場所の記憶としての地図」「地図帳の歴史」「(地図の)個人コレクション」の4項目については引き受けざるを得ず、調査にひと夏かけて脱稿、締切の2015年9月には出版社に原稿を送ったもののいまだ音沙汰ありません。けれどもジテン(「事典」「辞典」「字典」)という「権威」ある(べき)出版形式にふさわしいように、限られた文字数のなかに凝縮した内容と新しい知見を盛り込んだつもりですから、これも私の「研究」の一環と言っていいでしょう。

いずれにしても、この「来し方」は膨大な文献精読と批判の上に構築される建造物のような「研究」にはほど遠いものがあります。本学での講義のすべてに《歩く・読む・書く》を掲げている私の「研究」の流儀は、「業績」であるよりは学術のエッセンスを身体的行為へブリッジするその過程にある、と強弁したいところですが、最近邦訳成ったRebecca SolnitのWanderlust –A History of Walking(2000年。邦題『ウォークス―歩くことの精神史』2017年)を見ると、そんな言い訳は吹っ飛んでしまいます。

2008年施行の「地理空間情報活用推進基本法」以降、すべての地図がデジタルに置き換わりつつある現在、「場所の証言」としての紙地図、とりわけ1910年頃から日本列島そして朝鮮半島の主要都市域について作成されてきた1万分の1地形図の存在は重要です。その記憶(記録)を掬い(救い)、伝えていく「研究」こそ、私に課された宿題かなと思っているところです。

〔『東京経済大学報』2017年10月掲載、教員リレーコラム第2回。コミュニケーション学部客員教授 芳賀啓〕

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