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白泉抄14 紅蓮の國

秋の日やまなこ閉づれば紅蓮の國

『疾走する俳句 白泉句集を読む』(中村裕)によれば、「昭和四〇年代」の作と言ふ。
ただちに想ひ起こさるは三橋敏雄の いつせいに柱の燃ゆる都かな なり。

中村氏白泉は敏雄の句を「当然、読んでいただろう」と記す。後者は『まぼろしの鱶』(敏雄、一九六六・昭和四一年)収録と言ふ。一九四〇・昭和一五年の逮捕、執筆活動停止命令以降、俳壇に疎隔、戦後も孤立の途を歩みし白泉なるも、同書出版記念会(同年一〇月)は参席せる故然るべきことなれども、これ等いずれがいずれを参照したるか或は触発されしか、句作時期のまへあと明らかなりと言ふべからず。

白泉死後未発表の戦後句を含むその自筆稿印影本、敏雄の尽力にて発刊されしは一九七五・昭和五〇年にて、白泉敏雄親交薄からざるものありき。敏雄句の白泉句に触発されし可能性なしと断言し得ぬなり。

とまれ冒頭句「秋の日」は八・一五にして瞼裏の回想なり。所謂終戦記念日における、列島の主要部に投下されし核爆弾を含む大規模にして広範な都市空爆の想起なり。然して大戦末期の米軍空襲により、一時なりとも「紅蓮」と化したるは「國」そのものなりき。

対して敏雄句の描くは「一都」すなはち東京なり。朱塗柱の列せし平城、平安に繋がる「帝都」の木造家屋、開発されしナパーム弾効果の極めて高かりしこと掲句の描くごとく、電柱も併せ「いつせいに」燃焼、劫火となりて旋風を生じたり。白泉「國」を詠み、敏雄「都」を描く。視座の落差明らかなり。

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