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白泉抄13 桐一葉

桐一葉あるいは一葉、桐の秋、初秋の季語とさる。
「見一葉落、而知歳之将暮(一葉落ツルヲ見テ歳ノ将ニ暮レントスルヲ知ル)」(淮南子)に拠るといふ。

落葉広葉樹「桐」に、シソ目のキリ科のキリ(Paulownia tomentosa)とアオイ科アオギリ属のアオギリ(Firmiana simplex)の二種あり。いずれも東アジアの産なるもアオギリは南方の木なり。

北魏の『斉民要術』前者を白桐、後者を青桐また梧桐に書く。両者広卵型落葉なるも梧桐は掌状三~五に浅裂す。連歌時代は桐ならざる落葉含む例ありとしも「一葉」は次第に桐に定まると。ちなみに『日本大歳時記』(講談社、一九九六)には「柳散る」を仲秋、「銀杏散る」を晩秋に分く。

桐箪笥の桐、鳳凰の桐、紋章五三の桐、これらの桐はキリ科のキリすなはち白桐なるも、古来中国にて季節感を表現せしはアオイ科アオギリ属の梧桐にて、「秋雨梧桐葉落時」(白居易「長恨歌」)その端例なり。

如何あれども一葉は広葉なり。掌ほどに広くかつ重く、葉柄を付したるまま、ガサリ音たてて落下す。
桐一葉落ちて心に横たはる(渡邊白泉)。

昭和四〇年代の句作てふ。心底に横たはるもの、柳や柞(ははそ。コナラ・ミズナラなど)の小落葉にあらず。

「桐一葉日当りながら落ちにけり」(虚子)、「桐一葉月光噎(むせ)ぶごとくなり」(蛇笏)。この二句いづれもつくりごとの感否めず。枯広葉のガサツと落下速度を知らず、「つりがねの肩におもたき一葉かな」(蕪村)も同然也。

「螺線まいて崖落つ時の一葉疾し」(久女)よし。

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