【関東造盆地運動 Kanto basin-forming movement】
 関東平野の中心部が第三紀末以後、とくに第四紀に盆状に沈降し、平野周辺が隆起してきた地殻運動。1925年に矢部長克は関東平野の段丘面の高度分布や平野周辺の鮮新世―更新世の地層の傾きから関東平野は一つの構造盆地と考え、関東構造盆地(Kanto tectonic basin)の名を与えた。これは日本の陸上では最大の曲降盆地であり、それを埋めた堆積物により関東平野が形成されている。
 地質学的研究によると中新世の沈降帯は関東平野の西縁を南下して三浦半島・房総半島南部に続いていたが、鮮新世には黒滝時階の変動以後沈降の中心が房総半島中東部に移り(上総層群の堆積で示される)、その後さらに北西に移動して更新世中期には東京湾の東北部に位置し、関東造盆地運動とよぶのにふさわしい形となった(下総層群の堆積で示される)。下末吉面の高度分布によると、更新世後期には沈降の中心が東京湾北部と古河付近に生じたことがわかる。どうしてここに造盆地運動が生じたのか、またどうして沈降中心が移動したのかは明らかではないが、ここが東北日本弧と伊豆―小笠原の夾角にあたることや、この地域の南のプレート境界とみられる相模トラフがあることと関係があると思われる。なお関東造盆地運動による中心部の沈降速度は、更新世を通じてほぼ1m/1000年であった。(貝塚爽平執筆項目。町田貞ほか編『地形学辞典』1981)

「盆地」ねえ。
「地形」は地表を見ていただけではわからない。
 建築系の景観論者のダメさ加減は、「見えている」「現在」への依存度に拠る。
 地形は地下にもとづき、さらに海につづく。否、海からつづく。
「関東造鉢(ぞうはつ)運動」のほうが、言葉のイメージとしては適切だ。
「基盤岩」をたどれば、関東平野全体が浅鉢のかたちを成していることがわかる。
逆に言えば、最深部で地下3キロほどにある基盤岩の層をイメージできないと、この概念は理解できないことになる。
 今日放映のテレビ番組(テレビ東京「車あるんですけど」2017年7月30日)の「絵」を見ていてそう思った。
「盆地」では、イメージは地表の「凹凸」で止まってしまって、肝心のところまで思考が及ばないのである。
 ただし「東京の地下3000メートル」は沈降の中心部の基盤岩までの深さなのであって、その上に乗る「上総層群」や「下総層群」はずっと浅いところにある。番組では説明不足でした。
 江戸・東京は沈降の中心だから岩がない。崖があるとしても窪みにたまった土の崖だから、岩に彫り付ける「磨崖仏」も存在し得ない、というメッセージは伝わったかな。

 もっとも、番組中最大の失態は「アカテガ二」のことを「ベンケイガニ」と言ってしまっていたことだが。
 彼女、あがっていたのかな。
 車のなかでは耳にタコができるほど「アカテガ二、アカテガニ」と言っていたのに、どうして間違えるかな。
 収録後の「編集」でトチッたかな。
 他のカニとくらべて標高が高いところに棲息するアカテガニこそ、「猿蟹合戦」の主役なのです(これは私の説)。

 番組の最初のほうで私が言った「崖は動く」というテーマは、日暮里と銚子屛風ヶ浦で説明する仕掛けを考えていたのだけれど、屛風ヶ浦に車が着いたときはすでに日が暮れていた。
 投光器を使って撮影はされたが、結局カットされてしまった。
 まあいいか、そこまで言うと私だけが「立ちすぎる」からな。

 今度は単独でアカテガニに会いに鵜原まで、またちょっと足をのばして、崖地形の名勝「おせんころがし」まで行ってみよう。安房勝浦はおもしろいな。隆起と侵食でできた「風隙」(wind gap)もたくさん見られるようだし。

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