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自著を批判すれば「自己批判」ということになるが、2012年8月初版第1刷、2014年7月に第6刷で、発行およそ1万部とはなった拙著『江戸の崖 東京の崖』(講談社)だが、それぞれの段階で訂正があるから、正しくは「刷」ではなくて「版」なのである。

故鈴木理生氏の拙著評「迷著のような名著」は言いえて妙だが、度々の訂正にも漏れて、さらに訂正を要する箇所に、序章(3ページ)の〈「haga」(鼻濁音注意)は、「hake」や「gake」「bakke」同類、崖地をあらわしたもの、というのが定説。〉および第1章コラム②(16-17ページ)の〈「八景」も、「ハケ」hakeや「バッケ」bakkeと同根の「ハッケ」hakkeをオリジンとしたもので、これらは皆現在「ガケ」gakeと呼ばれる「地形」 を指した用語。〉がある。

いずれも「ハケ」という、地域的民俗用語にかかわる部分である。
つまり拙著では音韻形を根拠として、「ハケはガケである」と一括してしまったのだが、ここ2、3年、国分寺崖線を歩いていて、そうではなさそうだと思われてきた。

それはもちろん現実の「場所」と「光景」の力のゆえである。
通勤経路としている国分寺市東京経済大学の新次郎池も、また同市のお鷹の道の真姿の池や、小金井市の貫井神社、中村研一記念小金井市はけの森美術館、そして小金井市の滄浪泉園も、すべてハケであるが、それすなわち「ガケ」という等式からは乖離している。

それらの場所はすべてガケ下の湧水地(池)で、しかも崖線を抉った「窪地」である。
つまり、ハケはガケそのものの称ではなく、本来ガケ下の湧水箇所とその地形を言ったものではないかと・・・。

その思いは、ガケ(崖)すなわち段丘崖と段丘の地形学的理解とも平行していた。
国分寺崖線を一通り歩き、その崖線を侵食する大小の開析谷を見てきたことも大きい。
つまり「国分寺崖線エリア」には、すくなくとも二種類の「崖」が存在すると考えたのである。
ニ種類の崖とは、「崖線」と言いえる古多摩川がつくりだした段丘崖と、それをほぼ直角に開析した開析谷の谷壁、の二種類である。

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図の東西に走る標高約60~70mの等高線は国分寺崖線。それを抉(えぐ)る形の、東京経済大学新次郎池と貫井神社弁天池を擁する2つの「ハケ」地形を見ることができる(1:10000地形図「国分寺」1990年修正)

そして今、はっきり言えることは「ハケ」は即ガケ(崖)でななく、まして「崖線」ではない、ということである。

そもそも「ハケ」という言葉を人口に膾炙せしめた嚆矢と思われる大岡昇平の『武蔵野夫人』(1950)の冒頭にも
 〈どうやら「はけ」はすなわち、「峡(はけ)」にほかならず、長作の家よりはむしろ、その西から道に流れ出る水を遡って斜面深くに喰い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。〉
という正確な叙述が存在したのである。

もうひとつ文献を示しておこう。以下は『小金井市史Ⅴ 地名編』(1978)の19ページからの引用である。
 〈この連続した一連の段丘崖の頭部を結ぶ崖線には、ところどころ斧でv字状に彫刻したような”ノッチ”(小裂け目)がある。このノッチの上部では地表水が集まって頭部侵食を進め、下方では地下水が湧き出して釜状の小盆地をつくり出す。台地上から吹き下りる風は、この盆地を迂回しつつ下りてくる道とともに、この盆地に集まってくる。この崖下の釜からモクモクと湧出した泉の水は、集まって崖下に”吐出”される。いわゆる”はけ”とはこのような地形をもつところに名付けられた地名である。しかし、幕末時代、すでに”がけ”(崖)の別名へとさえ変質している。戦後、大岡昇平氏の『武蔵野夫人』以来有名となった。・・・〉

「ハケ」は崖線下の湧水とは限らない。「水が吐かれる場所」であれば、段丘面の浅い谷の谷壁崖にもハケは存在する。同書130ページ、現在の貫井北町2~4丁目の小字名「小長久保」の項に「はけ」と見出しがあって、〈坂上の東北、北方台地の崖面から夏場だけ湧出した泉を、この地方の人たちは”はけ”と呼んでいた〉と記述されているのは見逃せない。

東京の地形を研究する田中正大氏も、ハケとは「崖線そのものをいうのではなくて、崖線に刻み込まれた特殊な形をいっている」と記す(『東京の公園と原地形』2005、p.160)通り、ハケは崖下(かならずしも「崖線」下ではない)から湧き出、崖自体を侵食した小さな窪地のことなのである。

『小金井市史』に多少留意点があるとすれば、”v字のノッチ”は、崖下から湧き出る地下水が地表を谷頭侵食して形成したもの、と考えたほうが一般的であるから、ハケは「地表水が集まって頭部侵食を進め」るというより、崖線下部の湧水侵食による、と書くべきであったろう、というところである。

最近、冒頭に掲げたようなチラシを見た。
これが拙著の誤った影響でなければよいと思うのだが。

私がかつてそうであったように、「国分寺崖線」の理解が半可通であると、崖線と開析谷壁についても、混同というより同一視される。
それは行政や民間のつくる「崖線マップ」のたぐいに著しい。
多くの「マップ」には、野川の源流とされる国分寺駅北の日立中央研究所のさらに北側まで「国分寺崖線」が描かれている。しかしそれらのほぼまっすぐ北上あるいは南下する平行斜面の連なりは、国分寺崖線ではない。段丘開析谷の谷壁(こくへき)崖であって、国分寺崖線はその谷によって部分的に断ち切られているのである。

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上掲は「野川の水源」とタイトルのある説明板。設置主体名の表示がないが、多分国分寺市役所の土木関係部署であろう。茶色の帯は凡例に「国分寺崖線のイメージ」とある。地形環境上の知識の普及努力には敬意を表するが、誤まりは誤りである。この写真の範囲では右下の一部だけが国分寺崖線で、それ以外の茶色の帯は開析谷の谷壁である。崖は崖でも〔単なる〕崖線(がけせん)と〔国分寺〕崖線(がいせん)とは違う。それを形成した地形営力(geomorphic agent)も、地形学的時間(geologic time)も異なるからである。

2 Responses to “「ハケ」は、「ガケ」ではない。まして「崖線」ではない”

  1. 通りがかりの者on 03 4月 2017 at 23:52:06

    柳田国男の「地名の研究」をのハケの部分を要約すると、
    > 関東のハケは関西のホケと多分同一で
    > 偶然の一致かも知れないがアイヌ語ではパケ
    というのが柳田の論らしいです。
    柳田の論は結論を出すような類のものではありませんが。

    それから川越市の中福受水場がある「大はけ」などをみても
    崖そのものよりも、また崖といえるような大きな段差がなくても、
    崖線状の地形において水で穿った窪みという印象が強いです。
    はけ(化、羽毛など)、ほけ(歩危など)、パケ(八卦、八景など)の地名が付いた土地の地形を
    網羅的に調査したら何か言えることがあるんじゃないかと以前から思っているのですが、
    なかなか手が回っていません。

  2. collegioon 04 4月 2017 at 12:34:08

    『地名の研究』そうでしたね。
    ありがとうございました。

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