前項でも「ひとりよがり」という言葉を使用したが、それが「本腰を入れる」と同様、遊郭ないしはセックス現場に淵源をもつ可能性は否定できない。
日本の政治家がよく使用した(する?)「弱腰」や「腰砕け」なども同様で、彼らの「馴染み具合」を推測できるかもしれない。
また大陸から切り離された「島」という地理的条件は、「日本」の「ひとりよがり」を一定限度保育するものでもあった(ある)。

日本の文化イメージは、「悲しきひとりよがり」の上に成り立っている場合が多いのである。

例えば「縄文」である。
ひと昔前では岡本太郎、こんにちでは中沢新一などがすぐその例に挙げられるだろうが、「わかりやすい」縄文賛仰論者はアーティストにもエコロジストにも少なくない。
1万2千年ほど継続した縄文時代が現代日本文化の基底に存在するもののひとつであることは疑いないとして、例えば「森の文化」などというように、それが孤絶して発達した、世界に冠たる社会・文化であるかのように言いなすのは、もちろん誤りである。ひとりよがりである。
志賀重昂(『日本風景論』)から梅棹忠夫(『文明の生態史観』)、中沢にまで伝統的な、森林、草原、砂漠などという独特の景観論的手法は、時間的にも空間的にも相対的な位相にとどまり、分類整理はできたとしても、そこから人類史の本質に踏み込むわけではない。

縄文時代は、世界史では新石器時代と言う。
長い旧石器時代のあとに誕生したその時代を特徴づけるのは、土器であり、弓矢や網であり、新たに依存するようになった海産物であり、小規模な集団社会であり、呪術であり、そうして焼き畑農業である。
弥生時代やその後の歴史時代のような大規模な戦争の痕跡はみられないとしても、人為的環境破壊の「ステージ1」はすでに幕を開けていたのである。

ひとつは土器焼成である。
もうひとつは焼き畑である。

いずれも今日に比べれば桁違いではあるが、「森林破壊」が人間社会の基底に存在したのである。
広大で鬱蒼とした照葉樹林が昆虫や爬虫類、鳥獣とともに焼き払われ、ススキなどが卓越する「武蔵野」の風景ができあがったのは縄文時代と考えられている。

付け加えれば、盛大な「焚き火」の結果土器が焼成されたとしても、それは基本的に脆く、重く、水の長時間保留にも耐えない器物であった。
水汲みには、もっぱらヒョウタンなどの植物性の器か革袋が用いられたはずだ。
逆に言えば、とりわけ装飾突起の多い縄文土器は、人間生存のもっとも基本にある水汲みには縁遠い代物だった。
「焼き物」は今日においてなお「人工(art)」のひとつの極北であり、したがって「蕩尽」や「道楽」と無縁ではないのである。

「炭焼き」や「木炭」についても、現代人のうちのある種の人々の憧憬は「縄文」に対するのと似たような様相を呈している。
炭焼きや木炭がエコロジーの技法として今日の社会に復活されるべきである、というのはアナクロな短絡思考というほかない。

なぜならば、薪炭と一括される薪と木炭を対比してみれば、木炭はそれ自体を生み出すために、自らに倍する燃料を必要とするからである。したがって、たとえば一定の炊事に必要な熱量を生み出す森林破壊の度合は、木炭のほうが格段に大きいと見做さなければならないのである。

火力自体は、薪も木炭も同じようなものであった。
それにもかかわらず木炭は、人類の「燃料革命」のステージ1に存在した。
なぜならば木炭は煙も火焔もすくなく、安定的に長時間燃焼が維持され、コントロールの容易な火力であったからである。
なによりも送風装置(ふいご)を付加することにより、人類は木炭燃焼を通じて金属器を創出する熱量を得たのである。

ところで日本列島の縄文文化は、金属器には基本的に無縁の文化であったというのが一般的な認識である。
隣の大陸においては、5000年ほど前に青銅器文化が誕生し、その後隆盛を誇る。
一見孤絶したような縄文文化ではあったが、大陸との人的交渉があったのは山形県羽黒町中川代遺跡から出土した「刻文付有孔石斧」が約4000年前の中国の龍山文化につながるものである(我孫子昭二「刻文有孔石斧の謎が解明された」『季刊Collegio』No.60)ことからも明らかである。大陸からの亡命者が、東日本の縄文文化集団に迎えられていたのである。

つまり、日本列島の縄文文化は孤絶して開花し、長い時代を安定的に存在した独特の文化、などではなかったのである。
そのことを考慮に入れれば、縄文時代に金属器こそ一般化することはなかったものの、木炭焼成技術はすでに移入されていたと考えることは容易である。

いずれにしても縄文文化も、炭焼き文化も、人類が不可避的にたどってきたステージのそれぞれに位置している。
それらをことさらに称揚するのは、アートであるか、宗教(ないしは神秘主義)であるかのいずれかであろう。
アートや宗教のひとりよがりは、今日世界が直面する問題の本質から視線をずらさせ、「唯稲主義」に陥ったクメール・ルージュのように、条件次第では奈落まで人を導く危険性をはらんでいるのである。

わかりやすい「景観分類」の文脈で言い換えれば、現代において「森の文化」は存在しえない。
現代都市ないし現代農業、つまりは石油文明によって生を維持するわれわれは、遠い昔に離陸を済ませ、森も草原も過ぎて、砂漠の真上を飛んでいる。視界は砂漠のみである。
その先は、まだ何もみえないのである。

Comments RSS

Leave a Reply