テレビ番組や出版を契機とした「地形ブーム」というのがいいまだ健在らしい。
しかしその多くは東京を中心とした巨大都市圏に住む者のひまつぶしないしはマニアックな所業の延長であって、私の関与するところではない。
拙著『江戸の崖 東京の崖』が代表だが、その主張は「地形マニア」の「さまざまな意匠」とは隔絶しているのである。

東京というよりも、日本列島上の「首都圏」は、その存在自体が「崖」であり、「奇形」である、というのがその主張である。
そうして、現在は「江戸時代」につづく「東京時代」であって、その「東京時代」(東京国家)を「止揚」しなければ、われわれの未来はありえない、というのが究極の主張である。すなわち、われわれが生き残る道は、「都」も、「東京」も、廃棄することにしか存在しないのである。

地表上きわめて特殊な、4枚のプレート(岩盤)のせめぎあう「新規造山帯」に位置する日本列島において、「巨大災害」は地表上これまたきわめて特殊な人口集中地域(首都圏)に必然的に生起する、不可避な現象である。災害の規模は、人口の集中規模と「都市化」の度合に比例して昂進するからである。
人間が「地形」を考察するには、「人間の土地」から「人間」を切り離し、そうして再度「人間と地形」の現在を対象化しなければならない。
こうした規定性に目を向けない、どうでもいいような「景観論議」(その多くは建築系の構造論者およびそれに追随するおっちょこちょいやノー天気派、そしてタレントであるが)、マニアックな知ったかぶりは、すべて無効である。

ところで、大学の新聞会といえば、硬派学生の代表格のようなものだったが、過去と現在は隔絶しているらしい。
しかしその新聞会から取材があって、私の話が『THYME』(東京経済大学新聞会)という雑誌に掲載された。
以下は学生の聞き書きだが、それはそれでよいと思っている。

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