3月 25th, 2016
潮香と「東京の課題」 《東京方丈記 その1》
写真を撮るために、三ノ輪からいまや希少な存在となった路面電車に乗って、荒川区立「あらかわ遊園」まで杖を曳いた。
都電の荒川遊園地前停留所の安全地帯は、保育園か幼稚園の子どもたちでいっぱいだった。
午後4時近くだから、遊園地から帰るところだったのだろう。
撮影対象は、荒川区の「永久水利」施設。
「永久水利」とは、震災などで上水(水道)が利用できない事態に備えた試みのひとつで、隅田川そのものを水源とするための名付けなのだろう。しかし河川水といえども無限ではない。「悠久の自然」は幻想である。地球表面上、変動著しい日本列島においてはなおさらである。
「水利」とは言うものの隅田川の水は、飲用はむろんのこと洗濯、掃除にさえ使える代物ではない。
いかに「処理」されたとしても、そこを流れる水の「雨水と処理希釈された下水の混合水」という本質は変わらない。
ごく一部を除き、都内の都市河川で釣った魚を食べることは不可能である。処理下水臭がきついのである。
だから説明板にあるように、水利とは消防(消火)水利以外ではありえない。しかし木造住宅密集地域を抱えている区にとっては、永久にも見えるありがたい水源なのだろう。
願わくは、肝心の折に川水を汲み上げるポンプの電源がない、といった事態が起こらざることを。
園内の「みずあそび広場」の水流。一見するときれいそうだがよくみると処理下水特有の泡が浮いて流れる。隅田川からポンプアップされた水である。この水流と「永久水利」の関係を問い合わせたが、皆知らなかった
ところで、園内で小学校4年生くらいの男の子が「潮(しお)の匂いがする」と言っていたのには驚いた。
そこに漂うのは、神田川でも隅田川でも多摩川でもおなじみの、下水処理薬品の臭いが主体の「現代都市河川臭」にすぎなかったからである。
プールで泳ぐのがせいぜいの子どもたちは、海の匂いと都市河川の処理下水臭を区別できないのだ。
あるいは大人たちでも「無分別感覚」者が多数派となりつつあるのだろう。まがいものの河川水、まがいものの香りが充満している巨大都市に住む、あるいはそこで育つ不幸を思う。
水処理化学を専攻している人ならば、こうした「都市河川臭」の正体はすぐにわかるのだろうが。
一般に処理下水は、ところどころにこのような「泡溜まり」をつくりだす。「親水公園」など、処理下水応用「清流」施設ではちょっと気をつければどこにでも目にし得る光景である。この泡の正体も明らかにしたいところだ
セーヌ川は最近トライアスロンのコースに利用されることがあるという。
東京23区や多摩東部では考えられないことである。
水泳競技が可能とすれば、隅田川とは比較にならないほどきれいだということである。
それが下水処理技術や処理基準の差にあるのか、(雨水と汚水の)合流式と分流式の違いであるのか、いまのところわからない。
あるいは流域都市人口と工場数の規模、ないしはアジア的密集とヨーロッパ的分散の差異も関与しているかもしれない。
いずれにせよこのようなところにこそ、都市の本質的課題は存在する。
この根本課題の諸元が明らかになって(一般に共有された情報になって)いないとすれば、東京の未来は明るくないというべきだろう。
「ニッポンすごい」「トーキョー世界一」の、はるか手前の課題だからである。
100万都市江戸の隅田川以西を支えたのは、多摩地域の水源(神田上水・玉川上水)であった。それは井戸水すら涵養した。
その時代、下水は汚水ではなかった。
だから隅田川以東、埋立造成地である深川エリアの飲み水は、荒川(隅田川)の比較的上流から汲んで来た水売りの水にたよることができたのである。