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桜坂と国分寺崖線

16年前の4月末に発売された福山雅治のCD「桜坂」は200万枚を超す大ヒットとなったという。

この2月27日、大田区南久が原の昭和のくらし博物館で、「崖・水・くらし ―建築以前のこと」と題して2時間ほど話をしたが、それまで桜坂という坂も知らなければ、福山雅治という名前も、ましてその曲も聴いたことはなかった。

下見で大田区の国分寺崖線地域を歩いていて、結局「桜坂」と「ぬめり坂」に話の焦点をしぼることにして、はじめて十数年前の社会現象を知ったわけだ。

一般的な説明では、国分寺崖線は田園調布あたりまでつづくとされるが、国分寺崖線を「立川段丘の後面段丘崖」(松田磐余)と定義すると、国分寺崖線は大田区鵜の木一丁目の光明寺下までたどることができる。桜坂は中原街道の一部で、国分寺崖線を上下する傾斜部にあたる。

道端に立てられた説明板には、「桜坂 (さくらざか)/ この坂道は,旧中原街道の切り通しで,昔は沼部大坂といい,勾配のきつい坂で荷車の通行などは大変であったという。今ではゆるい傾斜となっているが,坂の両側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。/昭和五十九年三月大田区」とある。

wikipadiaでもほぼ同様の説明をしているが、実は「桜坂」と「沼部の大坂」とは、空間的にも時間的にも別個のものなのである。

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上の画像の2つのブックマーク(ピン)の間が現在の桜坂にあたる部分で、明治期までは平坦な段丘面であった(「東京時層地図」から)
沼部の大坂は丸子の渡しにつづく中原街道の要衝だが、国分寺崖線を開析した小規模な谷の壁をたどる坂道で、私の「坂の5類型」でいえば基本的には第3類型の「谷道坂」にあたり、第4類型の切通坂ではない。

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いまや桜坂の象徴のような「赤い橋」も、かつて中原街道の平坦面でそれに交差していた道が切り通しによって分断されたため、その「補償」として戦後に架けられたもの。観光が意識されたわけもない。
「坂の両側に旧中原街道のおもかげを残している」いわば「両脇の急坂」も、新たな切り通し坂による「地域分断への補償」として造作されたのであって、「中原街道の旧道の様子を残しているのは、区内ではこの付近だけである」という「大田区文化財 旧中原街道」の説明板も、ただし書きが必要であろう。

4 Responses to “桜坂と国分寺崖線”

  1. 岩内on 20 3月 2016 at 17:01:44

    芳賀先生、ホントに「ましゃロス」をご存じではなかったのですか「!!!」
    あれは、9月19日に安倍たちが強引に安保関連法を成立させた後もなお、草食無気力化した男どもを尻目に反対運動を持続していた女性軍の気力を殺いだ大事件でした。号外が出て、NHKのアナウンサーでさえ放送事故寸前のうろたえを示し、福山運送株を下落させ、運動を終息させたものです。思えば年末発売の福山雅治集成アルバムは、60年の男たちを産業戦士に転向させた西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、70年の男女を四畳半のプチブル予備軍に引きこもらせたあがた森魚「赤色エレジー」に続く第三の安保挽歌かもしれません。福山騒動ではつくづく「女心と秋の空」の古典格言を痛感したものです。

  2. collegioon 20 3月 2016 at 17:14:54

    すみません。
    フクヤマとは広島出身の女性の在所、マサハルとは私の父の名とばかり思っておりました。
    あの歌は名曲という人がいますが、ん~と、同意しかねます。
    歌詞も曲も凡庸(そこがポピュリズムの所以かもしれませんが)だし、鼻濁音ができない人の音は聴く気になれませんね~。

  3. 岩内 省on 22 3月 2016 at 13:28:03

    コトバ尻を論うのを趣味として一応差別問題にも口を出しているものとして、先生の一言が気になりました。
    先生は多分鼻濁音が母語に定着している地域(まつろわぬ「蝦夷」どもの「蟠踞」する陸の奥は仙台外れとか?)のご出身であられるので鼻濁音の欠如は感性が受け付けないのでしょう。「学校に入学する」と言うとき、同じ「学」の字が順に非鼻濁音、鼻濁音に区別しない話者は許せないのでしょう。〔それならもっと日本の伝統ゆかしく「グヮッ校のクヮイ段」と国会演説した自民リベラルの三木武夫(阿波人)に師事すべきでした。〕その事実はどうしようもありません。しかし、それをあからさまに公言するには充分に配慮していただくべきだと思います。
    鼻濁音のない中国地方出身(八鹿高校!)の言語学者田中克彦は「言語『学』」を正しく発音できないところに自らの「ことばの学問」への出発点を置いています。そしてNHKのロシア語講座担当者の東北弁(常陸弁?)を聞いて「日本語もまともに話せない者がロシア語講座とは恥ずかしい」と的外れなことを言った江藤淳(?)を徹底的にこき下ろしていたものです。
    こんなこともあったそうです。陣内正敏『日本語の現在(いま)』(アルク新書)で紹介しているエピソードですが、某大学の国文系のゼミコンか何かで学生が「庭の千草」を歌ったところ、教授が「君の歌を聴いていると何か胸にグサッとやられた気がする」と言うのです。確かに歌詞は、
    「庭の千草もむしのねもかれてさびしくなりにけり。ああしらぎく、嗚呼白菊、ひとりおくれてさきにけり。二露(つゆ)にたわむや菊の花、しもにおごるやきくの花。あああわれ、あわれ。ああ白菊、人のみさおもかくてこそ。」
    とグサッ、ギクッが5回もあっては、乙女の操どころではなくなってしまうでしょう。あわれ白菊、哀れ当該学生はその後ゼミ拒否になりましたか……。
    さらに、半濁音に関連して朝鮮出身者が「大学」と「退学」を区別できなくて悩むとか、金次郎像をめぐっても教示を求めたSさんが非鼻濁音地三好生まれで大「学」とか歴史「学」が嫌で都公文書館に職を得たという〔のはさすがにウソ〕話で、原爆よりも深い傷を負わせている例があります。

    エッチかエイチか、檸檬亭かレモンティーかなどは清原の麻薬より容易な可変習慣ですが、鼻濁音の有無は産みの母語に由来する存在なのです。50近い長崎出のましゃおじ様に今さら鼻濁音を強いるのは『破戒』です、母語の「しぇんしぇい」から「せんせい」を習得しただけで許してあげましょう。

    もう一度せんせいお勧めの吉本の「海老すき小魚すき」を読み返してください。RばかりでLのない私たちだって卑屈になる必要などまったく無く、むしろ雁さまを捨てて自立した和江チャンの『非所有の所有』として誇るべきなのではありませんか。

    なお、甘利!にもムカついて「保育園落ちた、日本死ね!!!」みたいにアセッて書いたのでロシア語のエピソードは記憶で書いています。確認して間ちガっていたら訂正します。もちろん、先生なら訛りの或るろしあゴガく者ガ誰か、すグお判りでしょうガ……。

    嗚呼、ぴ濁音。

  4. 岩内 省on 08 4月 2016 at 10:23:34

    前回コメントであやふやな記憶のまま、田中克彦がこき下ろした対象を「江藤淳(?)」としてしまいましたが、正しくは「清水幾太郎」でした。また「東北弁(常陸弁)」も原文の趣旨に従えば「茨城語」とすべきでした。私にとっては江藤某も清水某もいっしょくたで選ぶところのない転向右翼、というよりサヨク崩れですが、広い世の中には両者の差異を認める奇特な方もいらっやるやもしれず、またさすが田中、「茨城弁」でなく「茨城語」と表記していることこそ見逃すべきでない重要事項として強調したく、訂正する次第です。
    なお、出典は田中『言語の思想――国家と民族のことば』(NHKブックス264、昭50)202ページ、です。また、茨城語を嫌悪した清水の文は『思想』572(1972年2月号)100ページ所載「思想の言葉」の一節です。

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