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テレビを棄てる

ここ1年弱はもらいもののテレビがつかなくなって、うるさい映像とは無縁であった。
発見したのは、テレビレス生活はまことに心休まるものである、ということ。

なにせロクなニュースがない。
まして、mommyとかいう男が「会長」に納まって横柄な采配を振っている組織にカネを払わなければならないのは、理不尽のきわみである。

年末ということもあるし、テレビを棄てることにした。
市役所に連絡して、業者に来てもらって、お引取りねがった。
料金4700円ほど。
安くはないが、モノで詰まっていた部屋の一部にでかい顔で鎮座していた神棚がなくなったのは、まことにすがすがしい。

第二次世界大戦の遂行はラジオと映画なしにはあり得なかった。
現在では、すたれたといえどもテレビの影響力はまだ大きい。
「ダンシャリ」の最初の候補はテレビであるべきである。

翌日、NHK受信料をどう解約しようかと思っていた矢先、半年前に追い払ったNHKの衛星放送受信料請求チーム(男二人)がご到来。
ジャストタイミング。
「テレビは棄てた」と言うと、即刻引き下がった。
衛星放送ではなく、地上波の契約解除の方法を訊こうと思っていたのに、インターフォンの画面からすぐ消えたのは残念。
で、その解約は、女房の宿題に。

One Response to “テレビを棄てる”

  1. おせっかいon 30 12月 2015 at 13:28:10

    NHKの地域スタッフと受信契約をめぐって攻防している身としては意を強くさせられるお説です。放送法の規定は「受信機設置者は受信契約せよ」という趣旨であり、受信料は放送内容や経営方針を納得して相互信頼の上に立って契約を交わして初めて支払い義務が生じる者と理解して交渉しています。籾井勝人会長の辞任までは一受信者が主張しうるものとは思えないので、最低限納得せ着る経営方針を示したら契約すると主張しています。
    さて、貴ブログ文中には、その籾井氏を指してと推測される「mommyとかいう男」という表記がありますが、これはいかがなものでしょう? この箇所確か初版では「モミイとかいうトンデモ男」と表記されていたように記憶いたしますが、その方が片仮名表記のケイベツ感が効果的に表出され、文意にふさわしいと感じられます。改訂版の「mommy」なぞという言葉、私ら老境の日本男児には口にするのもはばかられる「ママ」のさらに幼児語「マミー」(母親二人称の自己表出)ではありませんか。あの尊大不遜な籾井のごとき不逞の輩にそんなカワイイ呼び方をするのは些かならずブログ主様の感性に疑問を覚えるを禁じ得ません。
    相手は映像(画面)と音声(言語)で相当な校閲を経つつ巧妙にプロパガンダをする組織なれば、批判に際しては、一字一句たりとも揚足抔取られぬ様萬遺漏無きを期せられたく、一言異を唱える次第です。
    それでは、よいお年をお迎えくださ~い!

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