また、書評を引受けたんだって?
 うん、なにせ本が読めるからね。
 どれどれ、これか。著者は高名な学者じゃないか。たしかレヴィ・ストロースのお弟子さんだったね。
 そう。文化人類学がご専門だけれど、出身が「深川」なんだ。
 それはそれは。小津安二郎の出もあのへんだったね。
 小津監督の生家は清澄庭園の南側。川田家は深川でもずっと北の小名木川北岸だから、家歴も古い。
もっとも、両家ともそれなりの商家だったようだ。
 そうね、「川向う」は北から陸化してきたところだからね。小名木川の北なら土地としては江戸以前からだし。
しかしタイトルの「下町」はどうだろうね。すくなくとも江戸時代から明治あたりまでの「下町」は今の日本橋や銀座とその周辺だけれど。
 「武蔵野」と同じように、「下町」も指す場所が外側に移るんだね。なにせ今は葛飾柴又が「下町」だし。
 しかし著者の意気込みはすごいよ、“この本で私が試みたいのは、連続した「江戸=東京下町という「地域」の視点から、変革された日本という「国家」を捉え直すことだ。そして江戸=東京下町民のありようを、西洋モデルともかみ合う形での、「市民社会」のモデルとする可能性を探ることだ”と帯にある。
 終章を含めて全27章のうち、書き下ろしと思われるのは1、4と終章だけで、あとはいくつかの雑誌に書いたもの。「朝日ジャーナル」(1987年)のもあって、最初からそういう視座をもって書かれたわけではないのね。
帯にあるようなことは、二宮宏之『結びあうかたち――ソシアビリテ論の射程』(1995年)の元になったシンポジウムに大きな啓示を受けたと終章に書いているから、段々にかたまってきたということだろうね。
フィールドワークの記録(インタヴュー)あり、思い出話あり、パリと江戸=東京の比較あり、水鳥(ミヤコドリ)についての調べごとあり、歌舞伎の話ありで、いろいなスタイルが詰まっている。
 なにが面白かった?
 それは、この著者の「杵柄」であるフィールド・ワーク、つまり地域の聞きとりね。それから、自分のお母さんやお祖父さんのこと。とくに16章の「私の幼時の記憶の中にも、生あたたかい潮の匂いが、水浸しになった早朝の街をおし包んだ、荒涼として世の終わりのような光景がある・・・・」などというのがあざやかだね。なんといっても直接体験の記憶だから。
 東京湾岸の高潮災害は現代にも無縁でない、というより下町ゼロメートル地帯には常に切実な課題だね。
 そう。砂町銀座は「東京で一番元気な商店街」といわれるけれど、ゼロメートルどころかマイナス2~3メートル地帯。だから201ページの昭和38年の水害と現代の比較写真はとてもインパクトがある。
 ただ、全体には文化論的な記述が多いし、身びいきの温(ぬる)さが目立つね。たとえば歌舞伎の「助六」を、「武士の文化に対抗する江戸町人の意気」と言うけれど、助六になぶられて最後は殺される「意休」という「武士」が、実は歌舞伎界がその支配から脱した後の弾左衛門をモデルとした、という説をどう見るのだろうと思ったね。
 そうね。下町もいいけれど、「地域」を問題にするなら、「3・11」以後、東京はもう東京だけでは語れないしね。
 これからの人類学は、フィールドをスタティックにとらえていたら成り立たないだろうね。「グローバル化」と「核」の正体が露出したし、実際に東京でも難・流民化がはじまっている。「3・11から20年後」の射程をもった「ソシアビリテ論」が望まれるね。
 そう。著者はアフリカの奴隷制も研究したようだけれど(『曠野から』1973)、金原ひとみが『東京新聞』(2011年10月11日夕刊)に書いた「主人すらいない奴隷」という言葉をどう受け止めるか、知りたいところだね。

(以上は、2012年2月4日付『図書新聞』掲載書評。対象は「江戸=東京の下町から 生きられた記憶への旅」川田順三著、2011年11月25日、岩波書店)

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