4月18日のブログの終りは「この項つづく」としていたのだけれど、ちょうどコメントをいただいて、それはまた内容の「訂正」をアナウンスしなければならない内容であったため、たしかにここに「つづく」のです。

コメントの返事にも書いたように、40年ほど前、先の戦争で中国に侵入した日本軍が「蒋介石没落」と壁に殴り書きして、中国人の失笑を買った、という逸話を読んでいて、また、かじった中国語の初歩では「没」meiが動詞を否定すると習っただけだったので、てっきり「没落」は「落ちない」とばかり思っていた、というお恥ずかしい話。
「没落」は、現代北京語や広東語でも「没落」の意であると、訂正しなければならない。

けれども誤りをただすことも、知見をひろげることもできる、ウェブメディアというのはまことにありがたい。

ポルトガルのことで、つづけようとしたのは、石橋湛山の「小日本主義」で、ナントカ大国でなくて結構という話。
それにひっかけた篠原孝さんの著書『農的小日本主義』を引き合いに出して、社会的ヒエラルキーの頂点に立つ巨大都市ではなく、地域に分散した「農的生き方」が、これからの日本列島のグランドデザインの根源に据えられるべきであると展開するつもりだった。
中央都市のエリートが引きずり回すグローバル資本と金融の世界は、未来という時間軸で、明らかに破綻しているからである。

また、それには、今回の被災を乗り越えたあかつきの「フクシマ」こそが、そのもっとも強靭なモデルとなる資格がある、と言うつもりでもあった。
ただ、そう公言するのは早計である。事態は予断を許さず、余震もつづく。
「乗り越え」られるべき障碍は巨大でかつ遠く、容易に先がみえるわけではない。

けれども、それは、かならず来る。
その日のために。

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