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原発と麻薬

福島県福島市新町3-20の第8寿カルチャービル。
5階だったかと思うが、かつて「百点美術館」というものがそこにあった。
地元の実業家で、東京では音楽評論家として知られる河野保雄さんが個人蒐集した絵画の展示場であったが、個人美術館としては稀にみる質の高さを誇り、個性の強い作品が揃っていた。
いま、手元の図録がみつからないので記憶があいまいだが、そのうちの1点、たしか靉光(あいみつ)の「赤い道」と題した小品は、私にとって大変に印象深いものであった。
1990(平成2)年6月に開館した百点美術館は、「館主の高齢」を理由に、2006(平成18)年6月、16年の歴史を閉じた。

そうして私の耳には、河野さんの「文学も、音楽も、美術も、みな20世紀で終ったんだ」という言葉が、いまもこだましている。

十数年前、百点美術館をもりたてるパーティがあって、私も招待され、東京から出掛けた。
講演会の後で、20~30人ほどがいくつかのテーブルを囲んで食事をしたが、私の右隣の席は当時福島県知事の佐藤栄佐久氏だった。
何を話したかは覚えていない。
当時私は福島のことも、政治や経済のかかわりも、ほとんど興味がなかったから、言葉を交わしたとしても、ほんの儀礼的なものだったろう。
ただ、おぼえているのは、政治家としての佐藤氏の顔は、「上品」な部類に属するな、ということである。

佐藤栄佐久氏は福島県郡山市出身で、参議院議員や大蔵政務次官を経て1988(昭和63)年から連続5期福島県知事をつとめた。
その彼が、インタヴューに応じ、今朝の東京新聞が報じているのは次のようなことがらである。

元知事は、「原子力政策は官僚と電力会社が操る全体主義。今回の事故は人災だ」と語り、
現在福島第一原発3号機で行われている、プルトニウムを使ったプルサーマル発電の安全に疑問をもって、拒否に転じたところ、東電と経済産業省の恫喝にあったという。

「東電は、県内に予定されていた火力発電所の計画を見直した」
「経済産業省の担当者は、原発敷地内のプールに一時保管している使用済み核燃料を、将来も置き続けると脅かしてきた」
さらに、2002(平成14)年に発覚した東電の原子炉のデータ改ざん問題で、原子力安全・保安院が内部告発を受けたとき、
「保安院はまず東電に、告発内容と告発者の氏名を伝え、県には発表当時まで何も知らされなかった」と言う。
「保安院」は文字通り「下司」の巣窟であった。

さらに、原発を受け入れた地元は、それを「止められない麻薬中毒患者のようになる」「事故は起こるべくして起きた」
「原子力開発に地元の声は届かず、国会議員すら触れない」と。

元知事の「全体主義」というのは言い換えで、多分その「原語」は「ファシズム」だったろう。
元知事が「失脚」したのも、「ファシズム」の操作だったかもしれない。

5 Responses to “原発と麻薬”

  1. 俊六on 30 3月 2011 at 20:44:16

    原発事故の後、妙だなと思うことがあります。
    それは周りの人に原発事故の事を話題にすると、誰もが黙りこくってしまうことです。

    地震当日。冷却装置が停止したと聞いて、「まずいですね」と言ったら、原発が停止して停電することを心配をしているのかと勘違いされた。

    爆発後。チェルノブイリのことをちょっとでも口にすると、皆黙ってしまった。

    静岡県で震度6があった日の翌朝。「原発の安全対策はどうなっとるんだ」と息巻く男性に、「いま浜岡原発を止められないくらいなんだから推して知るべしではないですか」と言うと意味が分からないのかキョトンとしてしまった。

    一方で、ドイツでは原発反対デモが起こっている。
    この違いはなんだろうと思います。
    たぶん私たちは勉強不足だったのだろうと思います。

  2. collegioon 30 3月 2011 at 23:12:50

    このサイトにはめったにいただけないコメントを、ありがとうございました。

    「国」というのは人が飼っている怪物なのですが、飼っている当人たちが恐れているために、主客が転倒しているようなのです。

    魯迅という近代中国の大作家が、「水に落ちた狗は叩け」と書いていたのを思い出します。
    可哀想に思って水から助けてやったら、凶暴な犬は助けた人々に牙をむき、それを喰い殺すと。
    狗とは、「官」(国家公務員)の暗喩だったと思います。

  3. iGaon 31 3月 2011 at 9:55:44

    東京新聞の佐藤栄佐久インタビューの見出しは『全体主義の政策』ですね。

    1990年頃のこと、JIAの新技術セミナーの裏方をしていたとき、この春の庭園開放が中止となった研究所の主任研究員と電力中央研究所の研究員に、セミナー終了後にチェルノブイリについて尋ねたら、マスコミが書いてることは風評だと逆ギレされ、打上もせずに帰られてしまいました。電力中央研究所の研究員の方はその後、どこかの教授のポストを確保したようでございます。
    1990年と云えばソ連崩壊一年後でメディアも現地取材できず、チェルノブイリで何が起こったか、本当のことを知らされていなかった頃ですね。

  4. collegioon 31 3月 2011 at 13:11:24

    そうでしたか。
    国分寺の日立中央研究所の話ですね。
    そういえば、あそこでも定期的に「防災訓練」をやっていて、職員は軍隊式の行進をさせられるのだ、といった話をきいたことがあります。
    いまでもやっているのでしょうかね。

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