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古地図巡礼 map pilgrimage

高輪A

古地図がブーム
テレビなどを見ていると「ここは○○だった!」という場面で、古地図がよく使われているようです。変貌激しい日本の大都市も、たしかに、古い地図を見れば「その時代」の様子がうかがえます。この場合「古地図」は、「古地理」ないし「古地誌」のための証拠物件として使われているわけです。古地図とは文字通り単純に古い地図なのですが、しかし、最近古地図として出回っている地図には必ずしも「古地図」でないものが少なくありません。

古地図とは?
いろいろな定義がありますが、簡単に《古地図とは「最新の地図」にとって替わられた、「かつての最新の地図」》としておきましょう。つまり、かつて「最新」でなかった地図は、古地図となる資格がないのです。それは「時代を証言」することができないからです。ですから、後の時代になっていろいろな資料からその場所の古い様子を調べてつくられたような図は、「古地図」ではありません。強いて言えば、そういったものは「シンコ(新古)地図」ないし「歴史地図」なのです。現在、出版物などで一般に流通しているものには、後から調べて作ったり、オリジナルな古地図を真似たり、なぞったりして、都合よくつくられた「シンコ地図」が少なくありません。

代表的な古地図
古地図の代表は、江戸時代につくられた「江戸切絵図」でしょう。(上図)
一般にもよく知られ、見かけることができるわりには、オリジナルな、つまり「本物」を見る機会はあまりないでしょう。ここに掲げたのは、「芝三田二本榎 高輪辺絵図」というタイトル(内題)の「本物」です。天地に比べて左右がその倍ほどの横長図。黒い図枠で言えば、天地は34.5×左右68.4センチメートルの大きさです。刊記に、「安政四丁巳(ひのとみ)」とありますから幕末も1857年、出版元は「麹町六丁目 尾張屋清七板」。つまりこれが世に名高い「尾張屋版江戸切絵図」のひとつなのです。
色彩がきれいで、とくに藍のあざやかさが目立ちます。
けれども海の部分には「切図」がはめ込まれ、その右端に小さな字で「此所本図エ続」とあり、方位の記載から、図の上辺中央に接続することがわかります。本図の右端は渋谷川の下流である古川、左端は目黒川の河口で、とくに目黒川が品川御殿山の海側で90度以上曲流して砂嘴を形成している様子がわかります。
図の中央は東海道が弓なりに通り、寺町には忠臣蔵で名高い泉岳寺、そして当時英国公使館がおかれていた東禅寺がみえます。

高輪A

上の図はその部分拡大です。ペリーの黒船外交の結果、日米和親条約が締結されたのはこの図の刊行から遡ること数年前の安政元年(1854)。安政の大獄、桜田門外の変と来て、東禅寺の英国公使館が襲撃されるのは文久元年(1861)とその翌年の2回。色あざやかで、川あり畑あり、一見のどかな江戸の周縁部地図は、しかし風雲急を告げる時代の血腥い舞台の証言者でもあったのです。

One Response to “古地図巡礼 map pilgrimage”

  1. 福富洋一郎on 23 9月 2008 at 10:34:56

    第2回多摩デポ講座の紹介の話題で、図書館関係者からこのサイトを始めて知りました。私は横浜市で10月5日は、予定があり行けませんが、このサイトを発見?して、とても気持ちが豊かになりました。
    私は、港北ニュータウンに20年前に引越してきました。当時はまだ「都筑郡」の雰囲気がのこっていましたが、今は様変わりです。古地図や絵画などの記録で、昔と現在を比較してみようと思います。参考にさせていただきます。有難うございました。

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