このブックレットのもとになった私の講演は、2008年10月5日、もう2年弱も昔の話です。話が広範囲にわたっていて、折角テープを起こしてくださったのですが、大分書き直してしまいました。この間、地図や行政資料をめぐる日本のそして東京の状況は大きく変化しました。ブックレットの末尾で、私が「地域の資料は、その地域に」と強調しているのは、以下のようなに事柄に直面したためでもあるのです。

調べ物でよく出かけていたのですが、立川市にある都立多摩図書館で、いつものように「○○区史」「××市史」を探したものの、棚にない。
請求しても出てこない。そればかりか、県史や市史の類、そして昭和30年代の1:3000東京都地形図をはじめとして、基本的な地域資料が一切なくなっている。
訊けば地域資料のほとんどは広尾の都立中央図書館に移管され、同一複数の資料は「処分」されるという。
これには驚いた。
暴挙というより、愚行というほかない。

「その地域」にある「地域資料」をわざわざ中央に移管して、あげくの果てに処分するという、まことに素敵な都の「文化行政」には笑ってしまうほかはない。都立図書館の内部事情を知る人の話では、こうした「決定」に対して、「会議」では「反対意見」は発言とみなさない、という前置きがあるのだという。こうなると、「会議」」ということ自体が体をなしていない。都という地方行政の場で、有無を言わせない専制政治が跳梁跋扈しているのですね。そこにあるのは、何よりも「地域」という「分節」(実はこれが「民主主義」の実際的な基盤なのですが)を、できるだけ排除しようという意識、あるいは無意識でしょう。

しかのみならず、近時は港区にある「都立公文書館」一帯が民間に売却され、資料は世田谷区の廃校となった高校に移転することが決定され、その後のことは何も決まっていないのだそうです。こうした行政の現実は「素寒貧」とでも言うほかない。何が素寒貧かというと、自分の職分に対する自覚や倫理が欠落しているのですね。基本的に責を回避する。行政「文書」は出来るだけ隠す、廃棄する、残さない。都合のよいアピールだけを表に出す。

最近では、平成の大合併の挙句に「道州制」が取沙汰されていますが、仮にそうなったとして、その際23区だけは特別行政区となり、多摩地域は他府県と合併される公算が強い。そうなると、多摩地域には基本地域資料(アーカイブ)が存在しないという状況が出現します。果たして、とりあげた資料は返してくれるのでしょうか。多分、すでに廃棄した、と言うのでしょうね。

これは既に各地の「平成の大合併」において、現実におこっている事柄でもあります。アーカイブとはお役所の仕事クズではなくて、行政の証拠書類、つまりは市民が自らの権利をチェックする基本証書であることをあらためて確認しなければなりませんが、我々が一般j常識としてそれを自覚するには、まだだいぶある苦渋の道のりをふまなければならないようです。

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