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江戸の厓・東京の厓 その6

ガケは、通常「崖」と書くでしょうが、字義からいえばとくに山地でもないかぎり、また江戸・東京という都市部を扱うからには「厓」としたいのです。中国文字を吟味するには今時流行の白川静先生の説を参照しないと手抜きということなのでしょうが、「厓」くらいはパスしてよいでしょう。白川流の無理やりシャーマニズム(呪術)や奴隷制という、人間の脳内作用投影の必要もないのです。

で、話は突然動物の世界に飛ぶのですが、漢字では「とり」を表わすに二種類の基本型があり、ひとつはもちろん「鳥」、そしてもうひとつは「隹」つまり部首の「フルトリ」で、前者の代表はニワトリの類、対して「隹」は尾の短い小鳥をあらわす、というのが一般的な説明でした。

森鷗外の小説のタイトルでもある「雁」は、しかし鳥でなく隹。野生のそれを実際にご覧になった方は多くないかもしれませんが、江戸の田圃や水辺ではよく見られた冬鳥で、結構大型の鳥です。今日東京周辺では決して見かけることができない。
ウミウかカワウが飛んでいるのをカン違いしたらしく、近時東京でも雁行を見たと仰った先生がおられましたが、それはあり得ない。編隊飛行はガン類に典型的ではあるけれども、ガンだけの特性でもなく、またガン類は鵜などとは異なり、植物性の餌であの結構大きい体躯を維持しなければならないので、今日の東京とその周辺を住処とすることは不可能でした。
人間自身の水ないし飲み水を考えてみても、「都市」ないしそこに住む私たちは、それほどまでに「遠くに来てしまった」のです。

さてしかし、この鳥にはなぜだか「厂」(雁垂・ガンダレ)が付いている。けれどもガケの鳥というわけではない。「ガケの鳥」は別にいて、それはブログでも書いたようにウミウとイワツバメが代表選手です。
雁にどうしてガケが関係するかというと、「雁行」するからなのですね。昔、文部省唱歌「雁がわたる」で歌ったように、「カギになる」すなわち雁列が直角になるから「雁」だというのです。ガケ鳥というよりは、直角鳥なのでした。
ということは、「厂」はガケの形象から発して直角をもあらわす。逆に言えば「厂」は垂直崖=断崖である、ということにほかなりません。

今日垂直崖ないしそれに近い崖を目にしえる場所としてはやはり海岸が手っ取り早い。地形学的には海食崖(かいしょくがい)ということになる。それは海波によって、常に下部から侵食作用を受けているからなのですね。
逆に陸部のガケは風水によって角度がどんどん緩斜面にされてゆくから、ガケというよりはサカになる。坂と崖は出自を同じくする兄弟なのでした。
海食崖はまた、「地の涯(はて)」や「生涯」という場合の「涯」で、すなわち「みぎわ」の意。地平線の最後、陸世界の最終地点、人生の最期は、ガケだったのです。

ところで、「雁」の形を一部にもつ文字の鳥(面倒な言い方ですが)に、「鷹」があります。ただしこちらは「ガンダレ」ではなくて「マダレ」。「麻」つまりマという「部首」には、ガケの上に点がついている。ガケ上の小さなお家なのです。
マダレは建物を表わす文字をつくるようですが、「鷹」はどうしてマダレのガンで、しかもトリ付きなのか。
実証抜きで言わせてもらえば、それはガン・カモ類を捕獲するための、つまり鷹狩の鷹を表わしているのであって、その場合の鷹は鳥小屋に飼われている鳥なのです。
だから「鷹」という文字になる。「目をつむりいても吾を統(す)ぶ五月の鷹」(寺山修司)の鷹は、鷹匠(たかじょう)に言わせれば「吾が統(す)ぶ」なのでした。

ガン類は明治以降の埋立てによって食と住の環境を奪われ、さらに旺盛な狩猟のため個体数を激減させ、東京周辺ではその飛行列さえみることができなくなりました。
今日例えば関東では茨城県あたりまで出向かないことには、文部省唱歌を確認することは不可能です。

そうして東京にあって、垂直なガケはほとんど人工のそれであって、自然のガケを目にすることは大変難しいことなのです。

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