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8月 4th, 2009
8月 4th, 2009
【古地図を旅する】 本の街・神保町徘徊 その11
「その10」の地図は、縦横のラインで四分割されていますが、これは赤丸と番号で示されたボーリング地点を検索するためのもので、ちなみに神保町一帯を含む右下の長方形部分は、索引記号では「セクションDe」にあたります。
つまり、神保町の中心部ともいうべき位置にあるボーリング地点は「De9」ということになります。
そうして、下の柱状図を見ればおわかりのように、「De9」は隣の「De8」とともに地下15メートルほどまで粘土質の沖積層でした。
そこにはところどころに貝殻がみられ、また15~12メートルあたりでは砂や礫が混入する。
これらのデータが物語るのは、「神保町谷」は過去の一定の時期に海水ないし汽水の進入する水域であって、その後砂泥が堆積して湿地帯を経て現在に至っている、という事実です。
地震学者・島村英紀のウェブサイトを観ていたら、彼が書いた日経/2003年7月13日号のコラム『今を読み解く』に、次のような記述がありました。
武村雅之『関東大震災 大東京圏の揺れを知る』(鹿島出版会、2003年)は労作である。地震についての古い資料を丹念に調べて、いままで知られていなかった関東地震の局所的な揺れを検証した。たとえば、東京・神田の神保町の交差点を境にして、東と西では震度にして1から2も違った。これが家屋の倒壊率の大差になっている。
神保町つながり……ということで、ちょっとコメントしてみました。
コメントありがとうございます。不勉強恥ずかしながら、武村さんの本はまだ読んでおりませんでした。多くの公共図書館にある本のようで、早速みてみます。
取り急ぎ。