この「表・裏神保小路」をどう見るかですが、性急を回避してまずは図の周辺に目をこらしてみましょう。部分拡大図1の左下に一箇所、部分拡大図2には4箇所に見える細長い□(四角)形は何でしょう。
そう、これは武断の風が卓越していた江戸時代初期まで、武家地周辺で頻発した「辻斬り」防止のための、「辻番所」を表すものでした。
日本が世界に誇る‘koban’を凌ぐ密度で、交差点ごとに設置されていますね。近代の警察制度も、その伝統を江戸時代の草創期まで遡り得ることがわかります。
さて、この図に記号凡例の記載はないのですが、実は近江屋板切絵図の手本となった吉文字屋板の江戸切絵図には「駿河台小川町図 全」(明和元年・1764)があって、収録図の範囲もほぼ同じ(近江屋板は多少東に出張っている)、しかしこちらには凡例が付いている。

部分拡大図a
部分拡大図a

これによれば辻番所は2種類。それだけでなく、町内火見櫓の記号もみえる(部分拡大図a)。
ところで、吉文字屋板と近江屋板のこれらの図には、江戸時代の半ば過ぎと幕末近くにまたがる85年の懸隔がある。
それでも街区の形はほとんど変わらずで、神保邸も動かない。小路も「ジンボフコフジ」と記載がある(部分拡大図b)。

部分拡大図b
部分拡大図b

2009年の現在から85年前というと大正13年、関東大震災直後の東京です。江戸時代の、すくなくともこの地域のスタビリティと比較すると、近・現代というのは目のくらむような激変の時代だったのですね。

この吉文字屋板については、現物ではなく斎藤直成編『江戸切絵図集成』(第1巻、1981年、中央公論社)の図を引用しています。

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